お菓子と私とジストニア

私を表現できるもの、挑めるもの、私の闘病、私にひっつくあれやこれを綴っていけたらな、と思っています

私のジストニア手術記~十~

 

入院から、というか手術から一週間のある日のことを今日は書いていこうと思うっす

 

朝一にお洗濯を

 

さて、今回の入院は長くなるので私服等は持ち込んでいない。セット内容次第でタオルもついてくる。だが、日々下着や靴下は取り替えねばならない。特に靴下。私、高校時代のケーキ屋アルバイト時代に常軌を逸した長時間労働のせいか、足に菌が繁殖しやすい感じにでもなったのか、放っておくと足がくっさくてげぇ、がでそうになる(笑)

 

よって、この日は溜まってきた靴下を主に洗濯機、コインランドリーにかけて乾燥機にぶっ込んだ。お洗濯及び乾燥代は計二百円で済んだ

 

そして、この頃、神無実家は結構雪も降っていて地面白っ!? っつーのも珍しくない感じだった。まあ、徳島にいたら「雪? 珍し!」って感じらしいのでいまいち先生方はぴんときていないようだったが、とにかく山越えが命懸けになる(いや、マジで)

 

術後一週間、だというのに……?

 

運命の手術からちょうど一週間だったこの日。先生たちは電圧や波形の調整をしつつお話していた。内容はこうだ。「これ、この調子なら一週間で退院とかいけますかね?」だったり「いやぁ、どうかな~?」だったが、主動医の先生が「こんなに調子いいようなら刺激、もうこのままでもいいかもな~」と言われなさった

 

ので、母にもしも退院にゴーサインでたら例の雪深き山脈地帯を命懸けで運転してきてくれ! と言っておいた(笑)

 

そして、本日めっちゃ怖いが抜糸と抜鉤を半分ほど行う、ということだった。神無的にんなドキドキ不要イベは一回でいいからいっそ一思いに全部取ってくれよぉ、だったんだがまあ、んなこと言える筈もなく

 

抜糸と抜鉤を半分行われる。んで、一応傷に軟膏を塗られてガーゼをぺたり。そのあとは昼ご飯をもしかしたらいけるんじゃね? と思って入院着のアメニティでもらったというかついてきた食器セットの箸を使って食べてみたがあっさりすぎるくらいあっさり使えたことにひそかに感動してまいました。これでもう麺類も怖くないぞー!

 

マジ突然&険しい道のりだよなぁ

 

午後。だらだらとしていた。すると、レントゲンに急な呼びだしがかかる。あの、先んじて言っておいてよ。トイレ行ったりしておくのに……。と、いう感じでトイレを我慢しながら放射線科に向かい、レントゲンで首まわりを一周する感じで五枚くらい撮影され、部屋に帰ったのち即行トイレに駆け込みましたともさ(笑)

 

そっからリハビリにいき、首が斜めっているというか、若干右に倒れているとご指摘があった。まあ、仕方ない。だってかれこれもう、五、六年も右に倒れっ放しだったんだから体がここが正面だ! と勘違いしていてもしょうがない

 

徐々に、それこそ数ヵ月単位で矯正していきましょう、と言われた。この日、神無はまたひとつ、険しき道に入ったっす

 

そして、退院についてお話

 

夕方遅く、この日脳外科の手術日だったこともあって先生方が再来訪したのは夕飯前のことだった。この調子なら来週後半には退院できるかも、という報せに神無心中でこっそり狂喜乱舞する。が、それは術後のジストニア精査用PETーCT検査後になるので予定を早められないか訊いてみよう、となった(元は一月の二十八日予定だった)

 

一週間も早まるかもしれないなんて素敵すぎる。なにより入院費が浮く(これ重要!)

 

夜、消灯間近だっつーのによ

 

それは突然のこと。ドォン、ドンドン! とものすごい音が聞こえてきた。なんだなになになに? 院内、病棟内で巨大和太鼓の演奏!? と、思っていると部屋の外から声が聞こえてきてこの騒音の正体が花火だと知れた。うっさいなぁ、もう……などと花火にはしゃぐ要素を持たない神無はイラリして布団をかぶって花火という騒音を締めだそうとしたが、結果は無駄な抵抗に終わったばかりでなく、なんとか寝落ちできたのちまた未明に目が覚めた神無、眠前の薬を飲み忘れていたことに気づいて慌てて飲み、再び布団に突っ伏して二度寝(……だよね、多分)したのでしたとさ

 

よし、んじゃ、今日はこのくらいで終わりまーす

 

つづいてく