お菓子と私とジストニア

私を表現できるもの、挑めるもの、私の闘病、私にひっつくあれやこれを綴っていけたらな、と思っています

薬害の申請結果がついに……

 

どうもです。以前よりは間空けずに書けていると思うですな神無です

 

さて、今日の先ほどのことですが、ずーーーーっと待っていた薬害の申請の結果が届いたのでご報告記事をつくろう! と思った次第です!

 

結果の前に

 

申請にあたり、いろいろと書類を揃えました。普通のことですが大変でしたともよ。ええ、はい。徳大の先生も「薬害の申請は手間喰うわりに通らないんだよね~」と言っておられたので玉砕覚悟でそれでも申請をしました

 

何度も確認書類や申請書類をだして結果を半年はゆうに待ちました。その時、途中で神経内科と精神科の先生方が向こうさん(薬害の審査するひとたち?)にだした書類まで家にやってきて、少しショックを受けました

 

なぜならば、精神科(主治医)が私のジストニア心因性、しかも疾病利得と書いて送ってやがったと、知ったからです。この不自由さになんの利得があるんじゃゴラァ!? とマジで悲しくなりました。風呂に入るのも命懸け。食事はほぼ呑む勢いで食べねば辛い。起きている限り筋肉の過緊張で全身痛い(当時ね)だったというのに!!(怒)

 

でも、徳大の先生が強烈な言葉で私の遅発性(薬害)ジストニアの可能性濃厚と、送ってくださっていたのでそれが決め手だったのではないか、と思う?(知るか)

 

結果

 

本日、別便で郵便が来たらしく、母が息急き切って店から帰ってきたのでドキドキしつつ封筒(母曰く「薄いよ、どうしよう! 無理だったんかな!?」←半パニ)の頭を鋏でチョキチョキして、中を取りだし、覗こうとする母を躱しつつ目を通し、「認めます」的な文言を見つけて母に報せると大騒ぎになったです。自分も見る! と言って眼鏡眼鏡! と老眼鏡を大慌てでエプロンのポッケからだして見て読んで涙ぐんだ

 

「おめでとう……よかった、本当によかった……っ!」

 

「うん。道が拓けた気がする」

 

「よかったよぉー!」

 

なんて、やりとりがあり、ふたり、落ち着いてもう一度あとでゆっくり読もう。ということになって解散です。母、仕事中だったしな。ちなみに喜びのハグは遠慮した。ええはいもう、全力でご遠慮いたしましたとも

 

しかし、難しい難しい、と聞かされていたわりに結果は至極あっさりと返ってきた。コロナの影響でかなり遅延したようではあるが、それでも通ったので本当に嬉しいです!

 

今後の私

 

どうにかこうにか薬害の申請が通ったので今度は遅発性ジストニアにより就職困難な為サポート資金(年金みたいなもの?)をもらえるように申請をしようと思っています。だが、かといってそれだけで未来永劫死ぬまでただだらけているのはジストニアに負けている気がするので、自分の力が及ぶ範囲でできることをして生きていければと思っています

 

だいぶ、前向きになれるようになりました。発症当時から初期段階では、地元の大きな病院のヤブ野郎のせいで人生に絶望し、死を考えて生きていましたが、ようやく救いが来たような気がします。あの時のあの医者に言ってやりたい。「どこが百パー心因性じゃボケェ! もっかい勉強し直せ!」とか、そういう感じに

 

なにしろ、ボトックスをどちら側の首に打ったかカルテに書いていないようなヤブなので。徳大の先生はちゃーんと右どこどこに注射、とかって書いてくれていたのに……。ホント、ヤブほど怖ぇもんはねえよ、医者って、と痛感したですよ(ヤブな野郎は筋肉名しか書いていなかった)。やっぱり専門医は違うわ、とも思ったです

 

本当に、本当によかったです。郵便が来る度に激走りで帰ってきた母の顔も思い出のひとつですが、私もよくぞここまで頑張れたものだ、と自分で自分を褒めたいです

 

今は珈琲の研鑽を積むと同時に焼き菓子をつくって、それを将来の職にできればいいなと思い、日々練習してはくたばって寝こけています(笑)お菓子づくりってめっちゃ疲れるんねん……(´・ω・`)

 

おわりに

 

いやはや、ここまで読んでいただきありがとうございました。もう、今日は嬉しくて眠れるかどうか(多分すぐ寝るww)なんて思っていますが、こうして薬害の申請が通ってくれたお陰でまたひとつ、生きる希望をもらえました。ずっとそばで励まして応援してくれている母に感謝です。そして、あの時、起きていられないくらい辛かったあの日々のどこかで死ななくてよかったです。でなければ、今はないわけですから

 

ジストニアと診断され、薬害の可能性があるみなさんへ。諦めないでください。私は命を諦めずにあがいてあがいてもがいて苦しみ喘いででもここで生きています。そして、希望の灯も見えました。絶望がなければ希望もない。あの時、たしかに絶望の淵に立っていた私ですが、今は希望に満ちています。絶望を抱えてあがいてやっと掴めた希望を胸にこれからも頑張って生きていこうと思います

 

では、これにてこのご報告記事は終わります。お付き合いいただきありがとうございました。また、なにかあればこうして不定期に、体が辛くない範囲で記事を書きたいと思いますのでよろしくです

 

つづくよつづく、どこまでも……