お菓子と私とジストニア

私を表現できるもの、挑めるもの、私の闘病、私にひっつくあれやこれを綴っていけたらな、と思っています

遠くの大病院へ

 

どうもなり。振り返り記事をつくっている神無です

 

昨日は退院後にいろいろありましたんねん、というので終わったので今日はその後どうしたのかちょびちょび区切りながら語っていこうと思います

 

それは究極の選択

 

退院するにあたって、というか、入院前に地元の大病院のクソっぷりにこんなところの、田舎の病院じゃ屁の役にも立たんわ、と母と話しあっていたのでどこか、遠方であっても大きな病院を調べて紹介状を書いてもらおうと思っていました

 

で、入院中の診察で候補にあがったのは飛行機で二時間の「東京女子医大」そしてもうひとつ、こっちは母が調べてくれていたのですが、ジストニアの研究を熱心にしておられるという徳島の病院

 

両方ともに移動手段というか、時間というか諸々と問題がありました

 

まず、東京にいく手段の飛行機。二時間もあの辛い体勢、椅子に一分と座っているのも辛い私が二時間も座って拘束されていられるのか

 

そして、徳島は幸いなのかなんなのか知れませんが車で五、六時間あればいける距離でした

 

究極の選択でした。一方は死ぬの確実。もう一方も死にかけになるだろうが、それでも自分の体調を見ながら高速のサービスエリア等で休憩ができる

 

さらにもし、通うとなれば東京いきは旅費がかかりまくる。徳島いきは運転手(母)への負担が大きい。つまり、どっち選んでもかなりいろいろな面で迷惑をおかけする

 

悩みました。迷いました。でも、その時、ふと思ったのです

 

東京の病院は「脳神経外科」、一方徳島は「パーキンソン・ジストニア研究拠点」

 

もしかしたら、東京いったら即行手術かもしれん、と思ったわけです。そして徳島は研究拠点とされているくらいなのできっと過去の膨大なデータをもとに様々な治療方法を提案してくれるのでは? と

 

決めました

 

母と相談し、東京よりも体がまだ楽な上にいざとなったら通うこともできる(高速代、ガソリン代はかかるが)徳島の方がいいんじゃね?

 

と、いうわけで私は徳島いきを決意しました

 

地元のあの病院で難治性というか心因性(ググったらキチガイとでた)と言われたのを覆してほしくて藁に縋る思いで決めました

 

紹介状を準備してもらい、二月の終わりに私は運転手役の母と共に田舎を出発しました

 

つづく