お菓子と私とジストニア

私を表現できるもの、挑めるもの、私の闘病、私にひっつくあれやこれを綴っていけたらな、と思っています

お久しぶりです

 

どうもです。お久しぶりです、神無は一応生きてはいました

 

ただ、あの、去年の十月以降病状が一気に悪化してパソコンの前に一分と座っていられなくなってしまったのです

 

それを今になって再開したのは病状がかなり快復というか、「え? マジでか!?」と思わず言っちゃうくらい快復したからです。なので、長々放置プレイも甚だしい感じで放置していたブログを再開しようと思いましたです、はい

 

お久しぶりということでまあ、軽く、今まで(去年の年末まで)どうしていたかをちょろっとだけ書いて終わろうと思います

 

まあ、さらっと書くだけなので見出しとかはなしの方向でいこうと思います

 

あのあとのこと、十月の頭に更新して以来のことをザラっと書きます

 

まず、二回目のボトックスを県内の某病院で受けました。単位は180で、前回の三倍強

 

ただ、それを受けるまでのところでなぜか、頸部ジストニア、痙性斜頸、斜頸ジストニアと呼ばれるこの病気の症状のひとつ、回旋がはじまってしまったのです

 

それまでは、最初のボトックスを受けるまではずっと側屈だったのに、これはどういうこと? ほわい? という感じでした。けど、先生はそのことについて説明なく、なんだろうね? と逆に訊ねられる始末

 

まあ、なにはともあれ施術を受けました。……が、症状はよくなるどころか、悪化の一途をたどりまくりました。そして、あまりにもアレでアレすぎるので予定前倒しで十二月の中頃に予約を変更してもらったです

 

すると、予約日の数日前になってロックバンドも真っ青なヘッドバンギングしまくっていた神無の首は再び右にガチっと固まってしまいました

 

その時のことは、もう辛すぎて思いだしたくもありません。首が、引っ張られている左の筋肉が引き千切れてしまいそうだったです

 

でも、それ以上にショックだったことがありました

 

診察の順番がまわってきて、症状を話しました

 

そしたら……

 

「ボトックスが効かないなんてこれは本当に難治性だなぁ」

「薬も効果がないしね」

「これは心因性だね、これはうちではなんともできないよ。外科的なアプローチも望み薄だね。とりあえずうちでできることはしたからさ、もう手の打ちようはないよ。手、尽くしたからあとは、精神科で薬調整してもらってよ」

 

まあ、要約してしまえば、「アンタのジストニアはもう一生このままだからせめて精神科で薬調整してもらえば? もう、どうもならないし」

 

と、言われてしまったわけですね

 

あの時の絶望感といったらないですよ。目の前真っ暗、頭真っ白でした。少しでも寛解の余地があると思って縋ってきたのにそれはないんじゃないの? と、思いましたが悲しすぎて言葉はでませんでした

 

偶然でしたが、その週精神科の外来予約があったので、その残酷な宣告をお手紙でもらって精神科に向かいました

 

もう、ひたすらに悲しくて、苦しくて、辛くて堪らなかったです。死にたい、が口癖になるようになっていました。本当に放っとかれたら死んだと思います

 

精神障害者年金を貯めていたのと、定期預金があったので、それを家族に残して逝こう、この苦しみから自由になろう、どうせ治らない、寛解すらしないのだから。医療費がかかるだけなら生きているだけ迷惑をかけるだけなのだから、と

 

精神的にも肉体的にもボロボロになりながら精神科を訪れて私は久しぶりに泣きました

 

やっと、将来にやりたいことが見つかったのに、なのに、一生この醜い不気味な体で不自由に迷惑だけかけて生きろ、と言われたのに同然なのですから

 

やりたいことも、楽しいことも、好きなことも、些細なお手伝いすらもできなくなった

 

これで絶望しない人間はいるのだろうか?

 

本当に、本当にあの時は末期的な体調で死ぬことしか頭になかったです

 

そこで、薬を微調整するのに入院を勧められ、年明けに病床が空き次第、という約束でその年は、2018年は終わりました。そして、絶望のままに2019年、新年を迎えることになったのです。その時はまだ知りませんでした。さらに悪化する、なんて……

 

とりあえず、区切りがいいのでここまでで終わり

 

つづく