お菓子と私とジストニア

私を表現できるもの、挑めるもの、私の闘病、私にひっつくあれやこれを綴っていけたらな、と思っています

私のジストニア手術記~十四~

 

どうも、今日も今日とて異様に早く目が覚めちまった神無は時間あるし~、って理由で記事づくりをしていこうと思いまする

 

へえ、知らないなあ(呑気)

 

その日、1/22のこと。真夜中、未明くらいに母によると地震があったらしい。震源地は大分県で神無の住む地域も、徳島も震度三くらいの揺れがあったそうだ

 

だが、なんと言いますか? 未明覚醒でとっくに起きて、ああ、寝れねえ……とか思って開き直りゲームをしていた神無、まったく気づきませんでした(笑)

 

鈍感なのか、それとも徳大の病棟のつくりがしっかりしていて大きな建物故に揺れを感じなかったのかしら? と、鈍くねえよ、多分。と自分を擁護しておく(えへ?)

 

なにその不名誉あだ名……

 

その後も母とLINEで駄弁っていたのだが、体調管理よろ、のあとに私が言ったことを発端として変なあだ名、っぽいもので返されたのである

 

我が母、私のつくるお菓子を美味しい美味しい、と食べるうちにヤベえくらい太ってしまったらしい。でもねえ、狙ってまずいものつくるのは難しいのだよ?

 

なんて話しつつ、以前いつだったか忘れるくらい前に手慰みで描いた面白キャラクターのひとつ、タヌキさんをモチーフにしたそいつを「ぽんちゃん」と呼び、そっくりでしょ? と母をその後、ぽんちゃんとお呼びしていた失礼な私である(笑)

 

可愛いからいいじゃん? とは思うのだが、不名誉だ! と言っていたが、やはり似ておるので撤回しない私に母は反撃じゃ、とばかり全剃毛で手術し、当たり前ながらまだ髪が伸びていない私を「マリモっち」と呼びおった。……こっちの方が失礼じゃね?

 

誰がマリモじゃ、誰が!(怒)こちとら好きで……まあ、いろいろ好き好んでこんな伸びかけ芝生のような頭になっちょらんわ! てか、なんか語感が昔懐かしのゲーム「たまごっち」に似ている。流行ったよなぁ、当時は。それはもう爆発的に今も形態を少し変えて流行っているようだがな

 

んで、そのあとは「ちんねん」呼ばわりされた。こちらは出所が不明すぎる。もしや、私と母のバックアップ役……になっているかは少し不明なものの同県に住まうおじさんで私たち母子が「ジャーマネー」と呼ぶひとが珍獣かなにかから取ってきたのか? と思ったが、母曰くちんねんってキャラが一休さんでいなかったっけ? とか言った

 

知らんし。誰だよ、ちんねん。坊主の仲間ってことか? そこまで刈りあがってないわぁ、ボケェ。畜生、好き勝手言いやがって。そのうち伸びるもん、髪の毛だし!

 

別に接点もないけど一応、私のアレなので

 

時遡ること、昨年の十月終わり、手術を受けると決めて一応義務? 礼儀? よくわからないが、一応報せておかねばならんやつに手術受ける、とLINE連絡した

 

それは、私の父親だ。とはいえ、もう、結構大昔様に離婚し、家をでて働いておいでで趣味のあうおひとと再婚してほぼ無縁となっているひとだが。私はぶっちゃけこいつが苦手だ。ジストニア罹患時も相談したくて連絡すれど返ってくるのは的を外した珍回答ばっかりである上、家をでた理由も私の母方の祖母が苦手、嫌いだったからで自分ひとり逃げだしたまあ、私の私的な恨みも込めて言えばそう、「裏切り者」である

 

私も祖母のことは苦手だった。昔の、古臭い思考なり、ずけずけ言うというか歯に衣着せぬ物言いが特別苦手であまり、好いているとは言えなかった。まあ、もうとっくに亡くなっているし、認知が入ったりなんだりがあってからは施設ですごしていたので思い入れはよくも悪くもそこまでない

 

けど、こどもの頃は本当に苦手で自分も早くこのひとがいないところで生きたいと思っていたものだ。なのに、ひとり逃げた親父。こどもを見捨てて、逃げた。……許せなかった。気持ちがわかる筈なのにさっさと自分だけ自由になりやがった親父の方にこそ私は恨みを募らせたのだ。祖母への苦手意識以上に、私や弟たち、母を捨てたことにこそ腹を立てた。きっと、一生許しがたいと思えるほどに。アレは私に言わせりゃ罪人だ

 

その親父だが、知っているべきかなという我ながらアホな慈悲で報せたが体調を心配するでもなく「前に進むのに怖いだろうが、頑張れ」とかなんとか返事が来た

 

手術を控えた娘に対する返事か、それが? でも、言わない。このひとにそんな察するだとか、他人どころか家族であった、実の娘である私の苦悩や苦痛を慮る、だなんて芸当逆立ちしてもできっこないのだから

 

その親父から年明け、手術も無事に終わって刺激調整などで忙しい時、不意なこと連絡があったのだが、なんとも遅すぎる「あけおめ」ってのと「手術どうだった?」と連絡が来た。1/18、なんていうアホほどの遅刻も甚だしい時に。事前に年明けすぐに手術と連絡しておいたのに、なにこの遅刻。いまさらあけおめも手術がどうこう言われても反応に困るというか、心に冷や風が吹いていったような気分だった

 

なので、適当に、冷ややかに凍結LINEで返しておいたが嬉しげにスタンプを送ってくる始末。イライラしたし、はっきり言ってぶっ飛ばしてやりたくなるっつーの!

 

ま、イライラと冷え冷えした心情は置いておいて母にもクッソ遅いご連絡LINEに腹立てたってのと冷凍LINEを送って差しあげたよ(笑)って返した。そしたら母が言おうかどうか迷った挙句忘れていた、と言ってくれたので少し気が晴れた

 

素敵な天然のボケ、というかスルースキル羨ましいね、とマジで思ったさー

 

と、まあ最後に私怨混じりな愚痴が入ってしまいましたが、お許しください。マジでアホさ加減が頭にキたものですので(怒)

 

んで、退院が着実に近づくにつれ、刺激の調整も佳境に入っていき、こまごまと変えられていくのであったが、それに伴って神無の体にも珍事が起こったのはまた次のどこかの機会で書いていこう、と思いますので本日はこれで終わりにしますね

 

つづく