お菓子と私とジストニア

私を表現できるもの、挑めるもの、私の闘病、私にひっつくあれやこれを綴っていけたらな、と思っています

退院できました! いえすたで~い

 

お久しぶりですっちゅーわけで神無参上!

 

昨日無事に約二週間ぶりにシャバ、もとい院外というか外にでることができました。ので、入院生活中のもにょもにょはひとまず置いておいて、入院当日の出来事だけ振り返っておしまいにします

 

まるでいつものことだよ? とでも言いたげに(笑)

 

朝、いつも通りの時間、三時ちょいすぎ頃に目覚めた私は少し待って母を起こすことにして朝ご飯やら珈琲やらちょこちょこやって荷物の準備もしていた。私は三姉弟の一番上なのだが、一番下の弟が早朝のバイトをしていて四時ちょいすぎに起きてくる。んで、飯食ったりしてだいたい四時四十分くらいには支度をしてでかけていく。このタイミングで母を起こしたのだが、寝ぼけ眼な母がパジャマから着替えようとした瞬間、外から異音が響いてきた

 

ボリボリボリ! ゴッ、ガガゴゴゴ!!

 

私は最初「なんの音だ?」と思い、母は「なんか聞こえるようなけど気のせい?」と目をこしこし。んで、私が「いや、すごい音しているし……」と突っ込むと同時に母が急に覚醒し、「パンクじゃん! ヤバいって!」と。ここまではいいとしよう。よくはないがいいとしておく

 

問題は弟の乗っていった車を止めねば、という点なのに、なぜか唐突に下着のパンツを穿き替えだす謎の母。いや、それよりコンタクト入れるか、電話でもかけれよ。と、思った私がそのように突っ込むと母は相当テンパっていたようで「そうじゃん!」と誰かにキレるように言ってコンタクトを入れに部屋をでようとすると同時にボリボリ音が帰ってきた。どうやらなにかしらの異変を覚えて戻ったようだ

 

それからはバタバタのワーワーだった。まず、遅刻する弟をいかにして職場にいかせるか、だ。私たちが乗る車に乗せていくわけにいかない。困りまくる。よって、ひとまず送っていくことになり、帰りは歩いて帰る、と言ってくれたので約三キロを徒歩でご帰宅願うにして送っていった母である(相変わらず私は運転できないので……)

 

帰ってきた母はすでに疲労困憊。だったが、朝早く、いつもよりは遅いがそれでも早くにでる必要があったので、出先で近所のガソリンスタンドに出張してもらおう、というので落ち着き、六時半すぎになんとか荷物積んで出発。コンビニでトイレ休憩した際、開店と同時くらいにスタンドへ電話(開店準備で忙しいのにスマソ)

 

んで、母はタイヤ全交換、と思っていたようだがパンク修理で直るっちゅーので、ひとまずそれで頼み(次の日の弟の出勤が困るので)、再度出発。道中ずっと笑いのネタは急トラブルなのになぜその場面でおパンツを穿き替えなさったの?(笑)というのに尽きた。で、休憩をはさみつつ、いつもの道で高速道路で四国へ突入!

 

そして、入院を

 

お昼をいつもの定食屋さんで食べて、病院へゴーしました。到着後、病棟にあがるのに入院サポートセンター(なんかそんな名前だったような……?)へいき、書類の空白をちょいちょい埋めて二年半前(もう、そんなに経つのかー、と思いましたねww)入院したのと同じ病棟へあがって体重測定などしてリストバンド装着! ああ、入院ね、としみじみしつつ、部屋へ移動。荷物を適当に片づけ、看護師さんと軽く話して母にバイバイし、部屋でぼへー、としているといろんな方が来られ申した

 

いつもボトックス打ってくれている主治医の先生は二十九、三十日とお休みらしく会えなかったですが、担当医の先生、薬剤師さんや看護師さんなど。で、いっちゃんショッキングだったのは栄養士のお姉さん。あ、アレですよ? 見た目がとかじゃなくて言われたことに私がショックを受けましたのです

 

「前回入院時と比べて食欲とかどうですか~?」

 

「ああ、かなり増進気味で体重が……」

 

「ああ。そうですね、だいぶ……」

 

お姉さん、みなまで言わなかったがじゅーぶん伝わった。だいぶ太ったとも、そうともさ。自分が一番わかっているよ。腹の邪魔肉超増えたって。かなりいっているってことくらいさ。体重測定の時点で現実の無慈悲さに眩暈がしたもん。半分仕方ないんだけどね? 体重激増の原因はわかっている

 

それはいわゆるお相撲さん食いのせいだって。ここ最近は特にだけど、とにかく食事ですげーエネルギーを使うのです。夏のエアコン入れて涼しい室内なのに、私ひとりだけ食後大汗かいていたりなんてのも日常でしたから。だから、食後は体力も気力も使い果たして、精根尽き果ててくたばってしまうもといベッドが呼ぶんです

 

つまり、普通に食って即そのまま寝落ち、というのが日常化していた。お相撲さんがいっぱい食って昼寝して体重を増やすのと同じような生活だったわけだ。そら肥えるわ。わかっていたわ。でも、他人に言われると異様にグサッ、とクる

 

気分的には心臓にナイフどころかスクリュードライバーが刺さってくる心地だった。なので、ご飯の量は五十刻みで増減できるそうなので家で食べるのよりちょい少なめの百グラムでお願いした

 

そして、訊いてみると体が不自由、というか食べるのが大変なひと用に「サポート食」というのがあるそうで、おかずは全部竹串か爪楊枝に刺さっており、主食のご飯はたわらおむすびにしてある。そんな夢のような提供方があるそうなので、お願いした。その日はもう夕飯の締め切りをしていたので無理だが、翌朝からサポート食でご飯は百グラムにしてもらう運びに。そんでー、サポート食の場合朝はパンだから~、ってことだったのでへえ、と思いつつおーけーごー、という感じでお願いし、慌ただしくその日は終わったのでしたとさ

 

おわりに

 

えぇと、今回の入院では特筆して珍事っつーほどのものはなかったようなーあったようなーって感じなので、また体が許す限り振り返り記事をつくっていこうと思います

 

まあ、ひとまず、今日はこの辺にしておきます。家に帰れた興奮でハイなテンションというか気分ですが、体が痛いので……。また、明日にでも、です

 

つづく