神経内科の再診
神無です、一応生きちょーです
今朝は珍しく起きられなくて、6時に目覚めてから珈琲淹れて飲んでまた寝てました
なので、今(14時)頃からやっとこさなんとか書き書きしています
昨日はいろいろあってド疲れでした。たいしたことしていないのに疲れ申したです
しんけーないか
さて、とりあえず午前は神経内科です
再来受付機に診察券を通すのに「磁気が弱っているか汚れている為~~」とか表示されて受付に並べ、と機械に拒否られたので渋々大嫌いな人間共のいる総合待合にいって呼出し番号札をもらう
んで、ざっと見渡してみたがすいている椅子がない(ぽつりとあいているのはある)ので知らんひとの隣なんぞやじゃ、という我儘で立って待つことに
したら、親切なおいちゃんがあいとるけえ座りぃ、とすすめてくれた
多分、私の体が異常なほどひん曲がっていかにもしわげ(辛そう)に見えたせいだろう
うーん、とても優しい心遣いだが、人間嫌いにとって見ず知らずの他人が隣に座っているのはとてつもない苦痛なんだ。だが、そう言うわけにもいかないので「立っとる方が楽なんで」と、ちんまい嘘を吐く
ちんまいのは半分ホントだったから。その病院の椅子はクッションが奇妙にふやふやしている。それが一定の姿勢を保つのが辛い私には拷問椅子にしか思えない
希望的には車いす以上にストレッチャーで移動したいくらい寝姿勢が楽なのである
と、そこへ母が合流し、すいた椅子(場所)があったのでそこにどっこいしょした。が、やはり姿勢維持が辛い。この時点で半分くたばっている私
私が「あー死にてぇ」思っていると、呼出し番号が呼ばれたのでふらっふらしながら歩いていき、ファイルをもらい、神経内科がある2階にエスカレーターであがる
内科受付にファイルをだして待っている間もくたばり続ける私。なにか飲み物を買ってくる言うて母が席を外した直後、診察室どうぞされて「えぇっ!? タイミング悪っ!」と思ったが、受付のお姉さんに母が帰ったら呼ばれたからと伝えてください云々言ってから診察室へ
アーテン飲んだら気持ち悪くなりました云々話していると母が戻ってきて、喋るのも重労働である私に代わっていろいろ訴えてくれた
細かな内容は覚えていない(とにかくしんどかった)今まで飲んでいたエビリファイを抜いたのもあるんだろうが精神的にかなり危うい、食事もまともにとっていない、このままでは精神崩壊します! と強めに言ってくれた
ホントにな。このままいけば、たらたら(呑気に内服で~)していたら私は確実に精神崩壊して廃人になる負の自信がある。そしたら、最初は内服を試すんですが~と渋りつつもその教授はボトックスができる先生を呼ぶように手配してくれた
そんで内科の待合で待つこと十数分、別の診察室に呼ばれた
***
さて、補助(早朝効果)がないのでものすっっごぉおおく書くのがしんどいから今日はここで切ります。しょぼ内容ですみません。明日は早く(せめて普通通りに)起きれたらいいな~と期待しつつ再び布団のお世話になることにします
つづく
『いきる』のってさ
どうも、神無です
食欲の秋ですねー。今の神無にはまったく縁がないですが(ふふっ)
昨日も『ごはん』が一番しんどかったです
首が痛いのは装具(カラー)である程度軽減されますし、寝っ転がっていればすんごぉく楽なので仕事(家業手伝い)をお休みさせてもらっている今、私の生活はほとんど布団に依存している(いや、むしろ支配されちょー?)というやべー状態です
毎日、こうしてブログを書き書きしていますが、起床時(3時、4時、たまに2時)から一般的なひとが起きて活動しなさる時間(7時、8時、9時辺り)までが起きて椅子に座ってパソコンと遊んでいられる私の稀少タイムです
それ以降の時間はたいがい死んでます(∵)
トイレへいくのもかなり億劫面倒(ダメダメ星人)ですし、シャワーなんてぷち拷問だし、誰にも咎められず一日何時間も寝ていられる(寝ていても許される)動物がまじめに羨ましいです(猫とか)
まあ、だからと人間辞めて動物になろう、とは思わないですが……。愛されて大事にされればいいでしょうが、世の中動物虐待があとを絶たないっつーのが現状ですし(愛護団体・保護団体も大変だー)
それはいーとして
んーと、なんだ? えぇと、今の神無はかーなーりー人間的にヤバい気がします
欲(これこれしたいな~)の気持ちがほぼ死んだ今現在の神無は人生(記憶にある中で)初の入院を経験した時の状態に近い気がします
あの時は本当に「私は人間か?」と思ったものです
入院してから1週間ばかりは毎日点滴されていたですし、それを無感情に、客観的に見ている私の気分、というか『点滴されている』時の気分は植物に肥料アンプルを刺されているような気分でした
点滴に入っていたのは精神安定の薬だったのでしょうが、植物への肥料アンプルも『元気になーれ』っていう意味では同じかな~とか思っていたわけです
退院する時、入院保険がでるように診断書を書いてもらったんですが、ちらっと一瞬だけ見えた病名には『うつ?』とありました。はっきり書かないでいいんかい!? と、思いましたがまあ、どうでもよかったです
今の私はあの頃より悪い気がします
少なくともあの入院中は食欲ありましたし、ジュースやお菓子やらも好きで暴飲暴食してました。……ところがどっこい、今はどうだろう? あれれ? だいぶよくなったと思っていたのに、食欲は消失、飲み物も渇きが潤えばなんでもいいや、な状態
困ったものだね、ホント(他人事)
お腹は気まぐれに鳴る。でも、食べたいな、とか食べようかな、とかいうのは起きないし、たいがいスポドリをコップ1杯飲めば腹の虫は静かになる
それでも、一食くらいは家族にお付き合いせねば心配させるのはわかりきっているし、なんとか食べておかないといけないかな~、それが『普通』だよね?
そう、言い聞かせてほとんど噛まずに飲み込んでいる
噛むの疲れるんだもん。ただでさえない気力ふり絞っているのにどうして無駄に疲れにゃならんのだ? イミフ。……ただ、これもきっとズレているんだろうなぁ
いきるってくるしい
きっと、こう思っているひとは世の中いっぱいいる
バリバリ働くビジネスパーソン、結婚してこどももいて、毎日幸せだってひとも生きていくって苦しいわー、って思う時、例え瞬間にも満たない瞬間でもあると思う
苦しい、自分は不幸だ、世の中には幸せなひとがいっぱいいる、と妄想するなんてのは誰んだりあることだと思う。でも、気力(パワー)があるひとはそのうち妄想に捉われすぎることなく自分は自分だからと割り切って生きていける
それができないひとが弱くてダメだ、というわけではない。人間は弱いし、立ち止まってしまう、足が進まないなんてのはけっして珍しいことじゃない筈だ
そして、『動けない』が長く続いてしまうひとは次第に心を病んでいくのだろう
だから、生きるのが苦しいと思ってしまうのだと思う
今の私がそうであるように。生きて活動しなさい、と言われるのは苦痛に満ち満ちた行いで自分虐めにほかならない
生活が苦行になる、というのはあまりよろしいことじゃない。それはわかっている。わかっているがどうすることもならないくらい、苦しい
それはどこからやってくるんね?
ジストニアは命を脅かさないと、どの医師もジストニアブロガーの先輩たちも言うが、私はどうしてもその定説が間違っている気がしてならない
定説や闘病の先輩方に喧嘩売っとるわけと違う。でも、私のジストニア(仮)は確実に私を殺そうとしている気がする。「気のせいだよ」とは言わないでほしい。もし、どうしても言いたければ、私になってからにしてくれ
消えていく意欲、食欲。なくなっていく表情。どんどん湧いてくる『死にたい』……
『病は気から』と昔から言われ続けているらしいが、果たして、その『気』というのはなにでどこから湧いてくるのでしょうか?
気持ちの持ちようだよ、とか心の活力とかいう珍答は要らんです
だって、今の私には持てるだけの気持ちも、心の活力もない。なんだろうな、虚無? 虚ろでなにもない……そんなふうにしか感じられない。そしてそんな自分のクソつまんねー思考に反吐がでそう
今日は神経内科の再診がある。それが終わったら精神科も受診する。忙しいが、でかける日は少ない方が体が楽だ。ついでに言うと心も楽だ
「あー、醜くて見苦しい自分公開デーは今日だけ」
そう思うと楽だ。とてもとても楽だ
なにか、進展があるといいな。せめて、もうちょっとしっかりと検査があれば「ああ、調べてくれている」という気になるのに
神経内科の初診は打診器で手足ぽんぽんしただけでそれでなにがわかるのかとかの説明もなかったからなんだろうな……「え、だけ?」って感じだった
だから、余計に私の精神は不安と不信感ばかり募らせて不安定でグラグラゆらゆらしてまってるんだろう
ああ、ホント……
『いきる』のってしんどいなぁ……
おわっとく
ひさしぶりのごはん
どうも、神無です。一応生きてます
さてはて、昨日は久しぶりにご飯を食べました。あ、食べたいけどわざと我慢していたわけではないですよ? これまでの記事にちょこちょこ零していた通り『食べられなかった』のです(困ったことに……;)
でも昨日は「(心身)くたびれとるんじゃー、寝させー、アホー」と反抗的な体と精神に棘つき鞭を打って食事をしました
だから、私的にすっごーーく頑張ったので未来(さき)で辛くなった時に読んで頑張る用に記録しとこ、と思った次第です(ははは^^)
と、いうわけでつまんねーとは思いますが、お付き合いください
神無の久飯(~昼まで)
朝はいつものスポー水を朝食にして薬を飲み、珈琲とチョコで脳味噌を叩き起こす
昼にはすだち入りつゆで素麺(例によって少量)をつるつる頑張って食べました
ここまででもかなり神無的に頑張ったで賞(え?)だが、時折変にスイッチが入って自虐並みに頑張ってしまう、なんて経験はないだろうか?
その自虐がプラスに働くひと、マイナスに働くひと、そこは様々だと思います
でも、たまにプチストレスをかけてやると人間、なぜかよくわからん謎パワーというか謎効果で仕事がはかどったり、集中力が増したり、いつも以上に「できる!」が増えたり、達成したナニカの質が高かったりした、ということはなかろうか?
ジストニア疑惑(まだ受け入れきれない)から早くも1ヵ月。最初の頃は悲観やめーや思って「あはは~(ーωー~♪」していたが、だんだんだんだん疑惑が確定に近づくにつれて心がちょっとずつポキっていく日々。精神的ストレスはフル状態
そこに追加負荷は自虐というか自殺的だとは思ったが、このままでは骨皮筋子再びしてまう、閉鎖病棟ぶっ込まれる、絶対にやじゃ! と思ったので無理をする選択を選択
神無の久飯(~夜まで)
日曜の15時は母がいつもたばこ(煙草じゃないよ? この辺の方言で『休憩・一服する』って意味)するので、15時前に布団からもそもそ抜けでて、珈琲を淹れるのに1階におり、お湯を沸かして冷めるまでの間でアイス(スーパーカップのカフェオレクッキー(たしかそんな味?))をちょんぼりずつ、でもぱくぱく完食
ご飯食えないのにアイスは食うんかい、って? うーん、私も不思議だーと思いながら食べたです。でも、食欲ない時(風邪っぴきの時)とか、なんか無性にアイス恋しくなりませんか? ……きっとアレだね、脳味噌こどもなんだよ(三十路手前のクセに)
珈琲を淹れて「どうぞおおさめください~」してから2階のマイスペースへ
それから飴を舐めたり、無駄に自分が書いた過去記事に誤字脱字がないか探してみたりして暗い気持ち(死にたい死にたいの無限ループ病)からなんとか気持ちを逃がしていると母が夕飯どがすぅ? と訊きに来てくれた
こんな出来損ない娘でいっつもいっつも超絶苦労迷惑心配かけてすみません(;Д;)
あ゛ぁー、やっぱり私死ぬ方がよくね? とまたダーク思考がちらったが、せっかくなのでまず、他のひとの献立を訊いてみた
「大根の煮しめが食べたくってね~」(ふむ、それは努力で食べられそうだ)
「あと、昼が軽かった(素麺だった)から唐揚げつくるよ」(おっふ、そいつはヘヴィだぜ、オカン……)
「お粥炊く? うどんとかの方がいい?」
母の提案に私は悩む。元からお粥好きっ子だったのでお粥は確定でお願いしたいが、いい加減、たんぱく質とか野菜類をとらねばいけなくねーか? と思ったのである
なので、前テレビでやっていた鶏むね肉に小麦粉だか片栗粉をつけてゆで、氷水で締めるっつー肉料理をりくえすとした
そして、夕飯タイム
早めにおりてお手伝いしていた時には気づかなかったが、私の前にはあるぇ~? なんか(予定より)品数多くね? な、料理たちが並んでいく
お粥、とぅるとぅる煮鶏、梅干し(ここまではお願いした通り)、大根と人参の煮しめ鶏団子入り(みんな普通の深皿だが私は小鉢)、豆苗かきたま汁……なんだろう、質素なのか、豪華なのか、もはやわからん品々がところ狭しと並びなさった
これぁアレか、試練か?
「これくらい食べれば元気になるヨ☆」っつーやつですか?
こりゃあ、胃が多忙を超えて忙殺されるだろうなぁ……とは思ったがせっかく用意してくれたご飯を残すのは個人的にしちゃいけん、と思っているのでかつてないくらい頑張って頑張って……なんとかかんとか食べきった
しかし、アレだ……瀕死
その日、久しぶりに食事という超過酷重労働を終え、思ったことがひとつある
仙人、羨ましい
おわり
果たしてこれはやべーのか?
どうも、神無です
昨日は過去の珍病歴に触れてみた。今日はどーしょーねー? と、昨日から記事構想を練ってみようかしら、いや、ばったりでえくね? いやだがしかし、そうこうしていると朝(正確には明け方)になって目が覚め申した
うーん、特に今書きたいネタがない気がするので昨日を振り返ってみた(5秒)のだが、ふと思った「あれ?」を記事にしてみます
「おや? 変なんかな?」
昨日は朝からそこほど調子よくも悪くもなかった気がする
ここ最近いつも通りとなってまった食欲皆無(固形物ほぼ無理)も
そして「心配かけかけ迷惑かけかけの塊でしかねー私、滅べ」というダーク思考も
ハイとローなテンションをうろんうろんしているのも
なんかふつーになってきている私はいわゆる『普通のひと』から見てどうなんだろう?
普通のひとの定義っつーのが若干怪しい私ではあるが、一般常識は多分あるんじゃないかな? と思っていた
だが、昨日、母としたLINEお喋りで「え? そーけ?」と思ったことがある
何気ないお喋りに混ぜてした報告に……
んーと、まずは何気ないお喋りをしていたのです
てーへんだねぇ、みたいな?
母の「てーへん」は暑くて汗びっしょりっての
私の「てーへん」は昼、どうしても食欲湧かなかったのでこれでどうだ、となんとか胃袋に流し込んだココアがお戻り遊ばせようとしなさるのを必死に耐えるっての
ココア1杯すら受けつけないってどんなだよ、と思ったがなんとか耐えてさらにどーでもいいことをだべるように報告したわけだ
たいした報告ではなかった。ココアで気持ち悪い~する前、久しぶりにシャワーしたってーだけの「あ、そすか」で終わるような話題
久しぶりってきちゃねえ、と思われるか? だがなぁ、ぶっちゃけ今の私にとってシャワータイムはリフレッシュどころか自虐タイムなのですよ
これは首のジストニアあるある、なんかもしれんがシャンプーするのに首(頭)を正面に据えておけない、仮に(無理矢理)なんとかなっても過緊張状態の首・肩の筋肉たちは「痛いーっ千切れてまうーっ!」と悲鳴をあげるわけだ
つまり、シャワーする=自分で自分に拷問のプチコースを使用するに同義なのです
まあ、シャワーが拷問は置いといて、母が喰いついたのは私がついでにした報告
「体重計乗ってみた」
……体重計、やだよ、怖いはどーした? と突っ込まれそうだが、まっぱのついでにごくごく軽ーい気持ちで(首は痛かったけどな!)乗ってみたわけだ
そしたら最後に乗った10日前の体重から2キロ減っとった
まあ、想定内だ。まともに食えていないのだから。そら減るわな~
と、私的には想定内だし別段あせあせゆーのはなかったんだが、母的には「ヤバいがな」と言ってまうレベルだったらしい
「そーけ?」
「短期間に痩せすぎじゃない?」
「さぁ?」
「どうなんかなぁ」
結局母はそれ以上には突っ込まなかった。私もあまり深く考えなかった。それより胃で暴れん坊しやがっているココアさんがやれんかった
ゆ~はん
とりあえず、昼からはずっと死んでた(ココアのせいで)
そして、夕方になって夕飯どうすっべ? っちゅー話になったが食欲は依然、遠方出張中。……が、いい加減なんぞ食べんとやべくね? 食って即行横になれば容易にリバースもなるまい(笑)
と、いうわけでなるべく胃負担が少なくて意外とカロリーあるらしい素麺をリクした
ところが、一口すすって飲み込んだ瞬間、嘔吐めーたーが目覚めた(おー、のぅ)
そこで、苦肉の策ですだちをつゆに絞ってみた
爽やかな香りと酸味が嘔吐めーたーを宥めている隙になんとかかんとか(平常食べる1/3くらいの量だったが)完食することに成功
しかし、ホントの戦いはここから。胃袋からぴゅるっとおでまししようとしやがる素麺を胃に留める為、横になって再びくたばる私、疲労困憊(もはや笑うしかない)
そんなこんなで夕飯を乗り越えたわけだが、いまさら疑問に感じたのです
「やべーのか、これ?」
おわり
そーいえば……
神無です、今日は平常通り(4時)に起きることができました
だが、早朝効果がいつまで続くかは不明
昨日はなにやってんだ、こいつ? みたいな記事だけですみませんね。あのあとも胃袋はなにかと反抗的でくたばってまして……(^^;)
特に摂食障害とかではないだろうけど、食べたくないー、気持ち悪いー、が続いている
まあ、体形的にまだヤヴァイ感じはしないんで食べたい時に食べればいいかな~と思っている(体重計? やだよ、怖い←)
さて、神無の体重がなんぼはどーでもいいとして、お題「そーいえば」についてです
昨日、ふと思ったんです。そーいえばと過去を振り返ってみると、神無って結構「なにそれ、珍し~! 珍病~(爆笑)」なんて病気(怪我も)をよくやってきていたな、と
なるほど、ジストニアも珍病患い癖の延長で私のところにやってきたんだな? という我ながら面白い解釈でなるたけ『ぽじてぃーぶしんきーんぐ』しようとしている
せっかくなので私の罹ってきたお病気さん(覚えている+教えてもろた)を振り返ってみたいと思います
神無の珍病歴ww
1989年7月~
お田舎県のさして大きくもない(失礼だな)病院でおぎゃーした神無は体重2800gほど(正確な数字は忘れた)というわりと小さめサイズであった
生まれて即行のコレ
元気に生まれた(らしい)のだが、生後まもなく母共々はしかをやる
どっちが先に持ってきたか、いちおー聞いたが、忘れた。だが、母曰く、あの時はマジのマジのマジで死ぬかと思ったそうだ。私は(当然ながら)覚えていないが、大人になってからのはしかは死ぬほどしんどいらしい
40度以上の熱、重症の喉は重湯すら通すのに激痛をご一緒させる(もち、水も拷問吏)のだが、そんな極限であっても私に乳をやらにゃあいけんかったので死にそう×5くらい死にかけだったようだ
すんげー壮絶にタイヘンすぎていまいち辛さが伝わらない(おい!?)のだが、今はふたり共(ある程度は)元気にやっているので……ま、いっか(笑)←(・◇・;;;)
保育園時代は特になんもなかった……筈(覚えていない)
そん代わり、小学生時代の神無は結構な珍病ぱーてぃ子だった
小学校時代の珍病歴
まずやってきたのは足首の珍症状だった
ある日、ふと気づくと足首の骨付近がめっさ腫れて膨らんでいた
痛かったし、なにかそーいう虫にでも刺されたか? と、(親共々)最初は思ったのだが、徐々に痛みは強くなっていき、歩行に支障がでるようになってきたので慌てた親が地元の整形に駆け込んだ
その時、足首さんはかなり膨張してらした。なんだろうな、足首に丸めのクラゲがひっついた感じ?
んでー、その時の整形医(のちにありえんレベルのヤブと判明)は水が溜まっているんだろう、ということで注射針を刺して水(?)を抜いて処置終了
だが、もちろんと言うとアレだが、すさまじく悪化した
私は痛い痛い、親はおろんおろんであった
その後、どうやってその病院を探いたのかは不明(記憶にないの)だが、そこの毒舌でずけずけ言う整形医さんによると足首の関節だかに膜が挟まっちまってそれで腫れと炎症、痛みが発生。一見水膨れ(丸クラゲちゃん)っぽいものもできた
その先生は親から私の症状と地元医のした処置内容を聞いて開口一番、どこに向けているのかイミフながらも毒説教を吐いた
「なぜそんな処置をしたんだ! それは絶対にしてはいけない! そんな(医者として)当たり前の知識もないのか!?」
えぇと、お怒りドクターのすんげー剣幕ばかり記憶に残っていてどんな治療をしたかまるで覚えていない(あれまー)が、一応かなり長々かかったが治った
それから1年後、また珍病になる神無
とある日より、家で、学校の教室で座るたび尻に激痛が走るようになった
されたことぁなかったが、きっと「ケツバット」の痛みっつーのはこんなかなー(当時、テレビでケツバット喰らっていた芸人のリアクションから想像)と思った
ただ、テレビのケツバットはプラバットだった
なのに、芸人でもなくドMでもない私の尻に走りまくりやがる痛みは確実に金属バットによる一撃だ、というくらい激痛だった
なので、座る時は細心の注意を払って腰かけないと激痛、5~10分悶絶がつきまとった
家の椅子に関してはかなり厚めのクッションでやりすごしていたが、問題は小学校の起立、礼、着席! と、いう授業のたびにする謎の儀式の着席時に起こる超激痛(これはもう金属どころか太い槍の穂先つきバットのピンポイント攻撃)に心中で号泣
でだ、いろいろと整形医を訪ねてみてようやく症名が判明(その時にはもう、歩くのも苦痛で特に階段は地獄だった)したのだが、なんと尾てい骨の捻挫だった
……??(・△・)??
なにそれ、尾てい骨って人間が他のどーぶつだった時の名残だよね? しかも、捻挫って、どうやってするん? だって、尻(の上)だぞ? そこが捻挫するってなにさ?
骨折の方がまだわかるよ、尻強打したとか……
まあ、そんなこんなであれだ、捻挫なのでどーするこーするもならんから自然治癒で(えぇえええええ!?)と言われた(たしか)
そして、学校に事情説明して特別にクッション持ち込みOKになったので、あの謎儀式もご一緒できるようになった(完治まで毎日ケツバット痛つきだったけどな!)
その他、思いだす珍病
高校2年の秋からケーキ屋でアルバイトをしておりました
昼から夕方まで勤務だった筈が、だんだん勤務時間が夜まで伸びていきました(あるぇー?)
しまいにゃ高校卒業した途端、9時~20時(昼休1h)は普通。繁盛期(クリスマス)は7時~27時(昼休30分←ほわぃ?)までの勤務だった
アルバイトだったので当然時給制だったのだが、この時の時給はかなり、うん、低かった。あまりがっつり言うとこらぁ! 言われそうなんでぼかして言うと、現在の(現住)県内最低賃金(時給)からマイナス100円したくらい、かな?
そんな常識的にありえない長時間労働、しかも立ち仕事だったので足へのダメージはかなりのものだった。足が痛い、着地のたびに痺れと激痛がー!
と、いうわけで整形にいき、レントゲンで痛みの理由が発覚
種子骨骨折、と診断された
多分、ググった方が早いと思うが、足の親指付け根付近に植物の種のように小さな小骨にも満たないくらいちっこい骨がある。これがパキっといっちまったのだ
医師には働きすぎ(立ちすぎで歩きすぎで動きすぎ)と言われ、ついでとばかりかなり珍しい(自分も1症例見たかどうかぐらいだ)と言っておらっしゃった
そうかー、働きすぎか~……
……だろうねー!!(TΔT)
こんな小さい骨、折れてもどうすることもできないからうまく付き合ってよ(え?)
というようなことを言われ、とりあえずクッション性のある靴を買って足を騙す作戦でうまく付き合った……と、思う
そんなこんなで……
さぁて、軽く振り返っただけでも結構な珍病の宝庫である。どれが一番痛かった(辛かった)かはわからん。でも、一番の重傷はやっぱり最後の骨折(一応)じゃね?
まあ、当時は骨折ぅ、痛いぃ、どころではないくらい多忙だった(仕事が)
今にして思えば労働基準法の超大違反じゃね? とかこんな身近にブラック企業ー! って感じだが、恩も恨みもないのでどうでもいい(ばっさり)
とりあえず今の私にはジストニアがいやがる
こんにゃろは厄介なことに難治性で対処療法しかないのが一番のネック
今までの珍病は幸いにも痛み止めとか装具とか湿布薬やクッションや靴でなんとかなった。ところが、こいつ(ジストニア)はまだ何性で起こっていてどういう療法を選択しよう、という段階だから、一番辛いしもどかしいしイライラする
このままだとストレスで発狂するかもと恐れているくらい精神的に不安定まっくすな私だが、毎日こんな(毒舌ばっかの)ブログにアクセスがあるだけで励みになっている。励まされています
これからも、よかったら覗いてみてやってください。それだけで喜びますから、ハッピーですから、嬉しいですから
あ、強制とかではないので「あー、暇ぁ」って時に斜め読み、流し読みなっとお好きな感じにどうぞ♪
以上、神無の珍病展覧会でした~
おわり