お菓子と私とジストニア

私を表現できるもの、挑めるもの、私の闘病、私にひっつくあれやこれを綴っていけたらな、と思っています

そーいえば……

 

神無です、今日は平常通り(4時)に起きることができました

 

だが、早朝効果がいつまで続くかは不明

 

昨日はなにやってんだ、こいつ? みたいな記事だけですみませんね。あのあとも胃袋はなにかと反抗的でくたばってまして……(^^;)

 

特に摂食障害とかではないだろうけど、食べたくないー、気持ち悪いー、が続いている

 

まあ、体形的にまだヤヴァイ感じはしないんで食べたい時に食べればいいかな~と思っている(体重計? やだよ、怖い←)

 

さて、神無の体重がなんぼはどーでもいいとして、お題「そーいえば」についてです

 

昨日、ふと思ったんです。そーいえばと過去を振り返ってみると、神無って結構「なにそれ、珍し~! 珍病~(爆笑)」なんて病気(怪我も)をよくやってきていたな、と

 

なるほど、ジストニアも珍病患い癖の延長で私のところにやってきたんだな? という我ながら面白い解釈でなるたけ『ぽじてぃーぶしんきーんぐ』しようとしている

 

せっかくなので私の罹ってきたお病気さん(覚えている+教えてもろた)を振り返ってみたいと思います

 

神無の珍病歴ww

 

1989年7月~

 

お田舎県のさして大きくもない(失礼だな)病院でおぎゃーした神無は体重2800gほど(正確な数字は忘れた)というわりと小さめサイズであった

 

生まれて即行のコレ

 

元気に生まれた(らしい)のだが、生後まもなく母共々はしかをやる

 

どっちが先に持ってきたか、いちおー聞いたが、忘れた。だが、母曰く、あの時はマジのマジのマジで死ぬかと思ったそうだ。私は(当然ながら)覚えていないが、大人になってからのはしかは死ぬほどしんどいらしい

 

40度以上の熱、重症の喉は重湯すら通すのに激痛をご一緒させる(もち、水も拷問吏)のだが、そんな極限であっても私に乳をやらにゃあいけんかったので死にそう×5くらい死にかけだったようだ

 

すんげー壮絶にタイヘンすぎていまいち辛さが伝わらない(おい!?)のだが、今はふたり共(ある程度は)元気にやっているので……ま、いっか(笑)←(・◇・;;;)

 

保育園時代は特になんもなかった……筈(覚えていない)

 

そん代わり、小学生時代の神無は結構な珍病ぱーてぃ子だった

 

小学校時代の珍病歴

 

まずやってきたのは足首の珍症状だった

 

ある日、ふと気づくと足首の骨付近がめっさ腫れて膨らんでいた

 

痛かったし、なにかそーいう虫にでも刺されたか? と、(親共々)最初は思ったのだが、徐々に痛みは強くなっていき、歩行に支障がでるようになってきたので慌てた親が地元の整形に駆け込んだ

 

その時、足首さんはかなり膨張してらした。なんだろうな、足首に丸めのクラゲがひっついた感じ?

 

んでー、その時の整形医(のちにありえんレベルのヤブと判明)は水が溜まっているんだろう、ということで注射針を刺して水(?)を抜いて処置終了

 

だが、もちろんと言うとアレだが、すさまじく悪化した

 

私は痛い痛い、親はおろんおろんであった

 

その後、どうやってその病院を探いたのかは不明(記憶にないの)だが、そこの毒舌でずけずけ言う整形医さんによると足首の関節だかに膜が挟まっちまってそれで腫れと炎症、痛みが発生。一見水膨れ(丸クラゲちゃん)っぽいものもできた

 

その先生は親から私の症状と地元医のした処置内容を聞いて開口一番、どこに向けているのかイミフながらも毒説教を吐いた

 

「なぜそんな処置をしたんだ! それは絶対にしてはいけない! そんな(医者として)当たり前の知識もないのか!?」

 

えぇと、お怒りドクターのすんげー剣幕ばかり記憶に残っていてどんな治療をしたかまるで覚えていない(あれまー)が、一応かなり長々かかったが治った

 

それから1年後、また珍病になる神無

 

とある日より、家で、学校の教室で座るたび尻に激痛が走るようになった

 

されたことぁなかったが、きっと「ケツバット」の痛みっつーのはこんなかなー(当時、テレビでケツバット喰らっていた芸人のリアクションから想像)と思った

 

ただ、テレビのケツバットはプラバットだった

 

なのに、芸人でもなくドMでもない私の尻に走りまくりやがる痛みは確実に金属バットによる一撃だ、というくらい激痛だった

 

なので、座る時は細心の注意を払って腰かけないと激痛、5~10分悶絶がつきまとった

 

家の椅子に関してはかなり厚めのクッションでやりすごしていたが、問題は小学校の起立、礼、着席! と、いう授業のたびにする謎の儀式の着席時に起こる超激痛(これはもう金属どころか太い槍の穂先つきバットのピンポイント攻撃)に心中で号泣

 

でだ、いろいろと整形医を訪ねてみてようやく症名が判明(その時にはもう、歩くのも苦痛で特に階段は地獄だった)したのだが、なんと尾てい骨の捻挫だった

 

……??(・△・)??

 

なにそれ、尾てい骨って人間が他のどーぶつだった時の名残だよね? しかも、捻挫って、どうやってするん? だって、尻(の上)だぞ? そこが捻挫するってなにさ?

 

骨折の方がまだわかるよ、尻強打したとか……

 

まあ、そんなこんなであれだ、捻挫なのでどーするこーするもならんから自然治癒で(えぇえええええ!?)と言われた(たしか)

 

そして、学校に事情説明して特別にクッション持ち込みOKになったので、あの謎儀式もご一緒できるようになった(完治まで毎日ケツバット痛つきだったけどな!)

 

その他、思いだす珍病

 

高校2年の秋からケーキ屋でアルバイトをしておりました

 

昼から夕方まで勤務だった筈が、だんだん勤務時間が夜まで伸びていきました(あるぇー?)

 

しまいにゃ高校卒業した途端、9時~20時(昼休1h)は普通。繁盛期(クリスマス)は7時~27時(昼休30分←ほわぃ?)までの勤務だった

 

アルバイトだったので当然時給制だったのだが、この時の時給はかなり、うん、低かった。あまりがっつり言うとこらぁ! 言われそうなんでぼかして言うと、現在の(現住)県内最低賃金(時給)からマイナス100円したくらい、かな?

 

そんな常識的にありえない長時間労働、しかも立ち仕事だったので足へのダメージはかなりのものだった。足が痛い、着地のたびに痺れと激痛がー!

 

と、いうわけで整形にいき、レントゲンで痛みの理由が発覚

 

種子骨骨折、と診断された

 

多分、ググった方が早いと思うが、足の親指付け根付近に植物の種のように小さな小骨にも満たないくらいちっこい骨がある。これがパキっといっちまったのだ

 

医師には働きすぎ(立ちすぎで歩きすぎで動きすぎ)と言われ、ついでとばかりかなり珍しい(自分も1症例見たかどうかぐらいだ)と言っておらっしゃった

 

そうかー、働きすぎか~……

 

……だろうねー!!(TΔT)

 

こんな小さい骨、折れてもどうすることもできないからうまく付き合ってよ(え?)

 

というようなことを言われ、とりあえずクッション性のある靴を買って足を騙す作戦でうまく付き合った……と、思う

 

そんなこんなで……

 

さぁて、軽く振り返っただけでも結構な珍病の宝庫である。どれが一番痛かった(辛かった)かはわからん。でも、一番の重傷はやっぱり最後の骨折(一応)じゃね?

 

まあ、当時は骨折ぅ、痛いぃ、どころではないくらい多忙だった(仕事が)

 

今にして思えば労働基準法の超大違反じゃね? とかこんな身近にブラック企業ー! って感じだが、恩も恨みもないのでどうでもいい(ばっさり)

 

とりあえず今の私にはジストニアがいやがる

 

こんにゃろは厄介なことに難治性で対処療法しかないのが一番のネック

 

今までの珍病は幸いにも痛み止めとか装具とか湿布薬やクッションや靴でなんとかなった。ところが、こいつ(ジストニア)はまだ何性で起こっていてどういう療法を選択しよう、という段階だから、一番辛いしもどかしいしイライラする

 

このままだとストレスで発狂するかもと恐れているくらい精神的に不安定まっくすな私だが、毎日こんな(毒舌ばっかの)ブログにアクセスがあるだけで励みになっている。励まされています

 

これからも、よかったら覗いてみてやってください。それだけで喜びますから、ハッピーですから、嬉しいですから

 

あ、強制とかではないので「あー、暇ぁ」って時に斜め読み、流し読みなっとお好きな感じにどうぞ♪

 

以上、神無の珍病展覧会でした~

 

おわり