お菓子と私とジストニア

私を表現できるもの、挑めるもの、私の闘病、私にひっつくあれやこれを綴っていけたらな、と思っています

『いきる』のってさ

 

どうも、神無です

 

食欲の秋ですねー。今の神無にはまったく縁がないですが(ふふっ)

 

昨日も『ごはん』が一番しんどかったです

 

首が痛いのは装具(カラー)である程度軽減されますし、寝っ転がっていればすんごぉく楽なので仕事(家業手伝い)をお休みさせてもらっている今、私の生活はほとんど布団に依存している(いや、むしろ支配されちょー?)というやべー状態です

 

毎日、こうしてブログを書き書きしていますが、起床時(3時、4時、たまに2時)から一般的なひとが起きて活動しなさる時間(7時、8時、9時辺り)までが起きて椅子に座ってパソコンと遊んでいられる私の稀少タイムです

 

それ以降の時間はたいがい死んでます(∵)

 

トイレへいくのもかなり億劫面倒(ダメダメ星人)ですし、シャワーなんてぷち拷問だし、誰にも咎められず一日何時間も寝ていられる(寝ていても許される)動物がまじめに羨ましいです(猫とか)

 

まあ、だからと人間辞めて動物になろう、とは思わないですが……。愛されて大事にされればいいでしょうが、世の中動物虐待があとを絶たないっつーのが現状ですし(愛護団体・保護団体も大変だー)

 

それはいーとして

 

んーと、なんだ? えぇと、今の神無はかーなーりー人間的にヤバい気がします

 

欲(これこれしたいな~)の気持ちがほぼ死んだ今現在の神無は人生(記憶にある中で)初の入院を経験した時の状態に近い気がします

 

あの時は本当に「私は人間か?」と思ったものです

 

入院してから1週間ばかりは毎日点滴されていたですし、それを無感情に、客観的に見ている私の気分、というか『点滴されている』時の気分は植物に肥料アンプルを刺されているような気分でした

 

点滴に入っていたのは精神安定の薬だったのでしょうが、植物への肥料アンプルも『元気になーれ』っていう意味では同じかな~とか思っていたわけです

 

退院する時、入院保険がでるように診断書を書いてもらったんですが、ちらっと一瞬だけ見えた病名には『うつ?』とありました。はっきり書かないでいいんかい!? と、思いましたがまあ、どうでもよかったです

 

今の私はあの頃より悪い気がします

 

少なくともあの入院中は食欲ありましたし、ジュースやお菓子やらも好きで暴飲暴食してました。……ところがどっこい、今はどうだろう? あれれ? だいぶよくなったと思っていたのに、食欲は消失、飲み物も渇きが潤えばなんでもいいや、な状態

 

困ったものだね、ホント(他人事)

 

お腹は気まぐれに鳴る。でも、食べたいな、とか食べようかな、とかいうのは起きないし、たいがいスポドリをコップ1杯飲めば腹の虫は静かになる

 

それでも、一食くらいは家族にお付き合いせねば心配させるのはわかりきっているし、なんとか食べておかないといけないかな~、それが『普通』だよね?

 

そう、言い聞かせてほとんど噛まずに飲み込んでいる

 

噛むの疲れるんだもん。ただでさえない気力ふり絞っているのにどうして無駄に疲れにゃならんのだ? イミフ。……ただ、これもきっとズレているんだろうなぁ

 

いきるってくるしい

 

きっと、こう思っているひとは世の中いっぱいいる

 

バリバリ働くビジネスパーソン、結婚してこどももいて、毎日幸せだってひとも生きていくって苦しいわー、って思う時、例え瞬間にも満たない瞬間でもあると思う

 

苦しい、自分は不幸だ、世の中には幸せなひとがいっぱいいる、と妄想するなんてのは誰んだりあることだと思う。でも、気力(パワー)があるひとはそのうち妄想に捉われすぎることなく自分は自分だからと割り切って生きていける

 

それができないひとが弱くてダメだ、というわけではない。人間は弱いし、立ち止まってしまう、足が進まないなんてのはけっして珍しいことじゃない筈だ

 

そして、『動けない』が長く続いてしまうひとは次第に心を病んでいくのだろう

 

だから、生きるのが苦しいと思ってしまうのだと思う

 

今の私がそうであるように。生きて活動しなさい、と言われるのは苦痛に満ち満ちた行いで自分虐めにほかならない

 

生活が苦行になる、というのはあまりよろしいことじゃない。それはわかっている。わかっているがどうすることもならないくらい、苦しい

 

それはどこからやってくるんね?

 

ジストニア命を脅かさないと、どの医師もジストニアブロガーの先輩たちも言うが、私はどうしてもその定説が間違っている気がしてならない

 

定説や闘病の先輩方に喧嘩売っとるわけと違う。でも、私のジストニア(仮)は確実に私を殺そうとしている気がする。「気のせいだよ」とは言わないでほしい。もし、どうしても言いたければ、私になってからにしてくれ

 

消えていく意欲、食欲。なくなっていく表情。どんどん湧いてくる『死にたい』……

 

『病は気から』と昔から言われ続けているらしいが、果たして、その『気』というのはなにどこから湧いてくるのでしょうか?

 

気持ちの持ちようだよ、とか心の活力とかいう珍答は要らんです

 

だって、今の私には持てるだけの気持ちも、心の活力もない。なんだろうな、虚無? 虚ろでなにもない……そんなふうにしか感じられない。そしてそんな自分のクソつまんねー思考に反吐がでそう

 

今日は神経内科の再診がある。それが終わったら精神科も受診する。忙しいが、でかける日は少ない方が体が楽だ。ついでに言うと心も楽だ

 

「あー、醜くて見苦しい自分公開デーは今日だけ」

 

そう思うと楽だ。とてもとても楽だ

 

なにか、進展があるといいな。せめて、もうちょっとしっかりと検査があれば「ああ、調べてくれている」という気になるのに

 

神経内科の初診は打診器で手足ぽんぽんしただけでそれでなにがわかるのかとかの説明もなかったからなんだろうな……「え、だけ?」って感じだった

 

だから、余計に私の精神は不安と不信感ばかり募らせて不安定でグラグラゆらゆらしてまってるんだろう

 

ああ、ホント……

 

『いきる』のってしんどいなぁ……

 

おわっとく