お菓子と私とジストニア

私を表現できるもの、挑めるもの、私の闘病、私にひっつくあれやこれを綴っていけたらな、と思っています

入院してはじめての……

 

どうもです。まだまだ書く話題が尽きないので振り返り入院記事をつくっている神無です

 

今日は入院してはじめて、というかまだ日が浅いところのことを振り返ろうと思います。いや、あの、順番が違うとかじゃなくて毎日が濃いのですよ? けっして神無の出来損ない脳味噌が記憶ごっちゃなわけではないです。……多分

 

ご飯のおかずに「アレ」がある件

 

さて、まずは食事の話をしましょう

 

入院生活の食事はなかなか美味しいものがでる、みたいなことをどこかで言ったような言ってはなかったような気がするですが、そんな中で私は唯一絶対に箸をつけない類のおかずがあったです

 

それが、チリメン!

 

もう、あの形状が、あのアレがアレしてアレでアレすぎるのです!!

 

いや、あの、昔、小学校低学年頃まではシラスとか好きだったんですが、ある日、悲劇がありましてそれ以降苦手になりました

 

シラスにお醤油をさっとかけて食べるのが祖母から伝わる我が家の食べ方だったのですが、ある日、いつものようにお醤油かけて食べていたら、その醤油に、浮いていたのです。目玉が……

 

もう、ひぎゃああああああ!! おぅええええええええっ!! 状態ですよ

 

それ以降、そう言った形の小さい、ホントに小さい魚、チリメン然りシラス然りついでにイリコもダメになりました。これは、悲劇であろう。せっかくのカルシウムが……

 

と、言うわけで、メニューにチリメン、とあった時は蓋すら開けませんでした(えへ)

 

好き嫌いではない、これはあれ、苦手(言い訳)

 

入浴について

 

さて、入院中ずっと洗髪も体洗うのもしなかったらばっちい(汚い)ことこの上ないですね? と、言うわけで看護師さんに訊いてお風呂おっけーがでたので準備してレッツゴーです

 

入浴、と言ってもお風呂、湯船につかれるわけではないです。シャワーです。おそらく溺死とかそういう危険を少しでも排除する感じなのかしら、と思ったです

 

中は、本当にひとひとりが入ってシャワーだけする空間、って感じでした。その手前の空間で服を脱ぎ着する感じで、シャワールームへはあのすり硝子の戸で仕切ってある感じ? ちょっと戸惑いながらも足ふきマット代わりのバスタオルを床に敷いてその上で脱衣。シャンプーとボディソープ、体洗い用のタオルを持っていざ!

 

狭いので転倒の心配もなくちゃかちゃか自分を洗濯してあがり、フェイスタオルで頭がしがし拭いて、体拭いて着衣です。何事もなく終わったですともよ。ええ

 

髪はこの時、ベリーショートというか黒い金平糖みたいな頭だったので大雑把に水気を切っておけばあとは自然乾燥です。ものの五分で乾きました(楽~♪)

 

今までは半端に長さがあったのでドライヤーのお世話にならねばならずそれがまた苦痛でならなかったのですが、もし、よくなったらまた髪を伸ばそうかな、と思っています

 

そんな感じで特に中身はないですが、入院生活のあれこれを書いてみました。お粗末なりなり。では、明日は洗濯についてとかその辺書いてみようかしら? と思っていますのでまた、お暇でしたら覗いてやってください

 

つづくのだ、まだ……

МRIの検査と○○をしたよ

 

どうも。相変わらず振り返り記事ばかりつくっている神無です。ブログタイトルにある珈琲はどうした? と言われそうですが、あれです、先にこっちつくらないと忘れるんですよ、頭が(逆の意味で)いいから(笑)ハハハ

 

と、いうわけで今日は短めでも濃いめにしておこうと思いますので、え、うわー……と思っても突っ込みなしでよろしくお願いしますですーっ

 

さて、それはとある平日、入院して三日後くらいのことでした。朝、検温などをする時、看護師さんに今日の検査予定を訊くのが日課でしたが、今日は脳外科の先生と話がある、多分午前だと思う、と聞いて今日こそは隙を見て果物屋に足を運んでやろうと思っていましたが、いつまで待っても来ない。なに、忘れられている?

 

そう思ってダラダラしていると、急に看護師さんが車いす持ってらして、急に検査入ったと申された。もっとはよ言ってよ! と、は思ったが、「あ、了解です」ということで例のМRIに向かったわけですが、そこでされた説明は、ちょっと特殊な撮り方もするから四十五分くらいかな? 暗いところとか狭いところとか大丈夫? と言われたが、ふ、安心せい。私は暗くて狭い場所の方が好きだ(いや、それもどうだろうだけど)

 

そして、検査開始

 

……ドッドッドッド

 

……くわっくわっくわっ

 

……でででででででででで

 

……、……ぴろーぴろー

 

……一向に終わらないのはなぜですか?

 

と、思ったらようやく音がやんでやぁーっとうっさいのから解放されました

 

そして、部屋に帰還してから時計を見ると、約一時間半ばかりМRIの中で音攻撃を受けていたことが判明

 

嘘つきーーーーーーーーーーっ!!!!

 

誰だよ、四十五分くらいだって言ったの、検査の技師さんだよ。おのれ、いくら好きな閉鎖的空間でもやかましいのは嫌いなんじゃ! こっそり毒思念波で呪うぞ、コラ?

 

と、思っていると、担当の先生と、初日に見てくれた先生がダブルできなさいました

 

なんだ、と思っていると……

 

「今から簡単な注射を打ってみようと思うけど、大丈夫?」

「あ、はい。大丈夫だと思います」

「うん。じゃ、こっち来て」

 

と、いうわけでよくわからないが「内科処置室」なる場所で、キシロカイン(あとで調べたら局麻に使う薬と判明)を背中に注射する、という処置を行うことになった。なんでも体幹ジストニア患者さんはこれで劇的によくなったケースが多いらしい

 

と、いうわけで注射。背中に三、四ヵ所ほど注射されて、終わってから異変に心の中で首を傾げる。なんだ、このふわふわした眩暈みたいなの……?

 

歩いてみて、と言われて歩いてみたのだが、出口付近でとうとう足が縺れて壁にどがっと激突し、「内科処置室」の立て看板を豪快に倒してまった(やっちまったぜ、はは)

 

それからは、処置室てんやわんやになりました。なんか、ドラマ、救急物のドラマでよく見る血圧と脈拍を見れるモニターがやってきて、先生ふたりに代わる代わる脈を測られ、血圧を測られるという大騒ぎになり申した

 

それから、しばらく安静にしている間、耳鳴りでまわりの音が聞こえないという悲劇。特に終盤はセミが耳の中にいる感じの音がして超不快でした

 

が、それでも三十分くらい安静にしていたらよくなったです。でも、心配だからということで車いすでの帰還です。あー、疲れたぁ

 

そして、とっくに届けられていたご飯を食べて(かなり頑張ったよ、私)そのあとは、自己管理なのでもう即行眠前薬を飲んで、寝ました。朝までぐっすりでしたですよ

 

と、いうわけで、新しい治療方法が来ました、という話になります。キシロカイン、どこまでお前が頑張ってくれるか期待しているぜ、というところで今日はやめときます

 

なんか短くとか言っといて結構長くなったのでお疲れ様です。では、また、明日……

 

つづく

入院当初の私と最初の検査

 

どうもどうも、曖昧な自らの記憶に検索をかけつつ記事つくっている神無です

 

今日は昨日話していた「おおい、どうしたよ!?」というのを書いてみたいと思います

 

入院当日だか翌日だかの私

 

先生にいつお会いしてご挨拶したのか記憶が定かでない、そんな話をしましたが忘れていたらそれはそれでオッケーです。なにしろ私も「?」でしたので(おい)

 

ですが、担当医の先生といっちゃん最初に徳島に来た時診察してくれた先生が一緒に来てくださってですね、歩いてみましょう、と言われました

 

? です。歩くのは歩けるけどな~、と思ったわけです。まあ長距離を歩くのは体がしんどかったですが。それでも促されるまま歩いてみます。長めの廊下をいったり来たり

 

そして、唐突にその指示がでました

 

「後ろ歩きできますか?」

 

なに? そんなもんできるに決まってるわ。日常生活で必要ないからしたことないだけで、と、思ったのですが……

 

「あ、あれ? なにこれ、え、え?」という感じでした。まあ、なんていうのきちんと歩けなかったですよ、これが。みなさん後ろ歩きできますか? 私、この時できなかったんです。自分ではまっすぐ歩いているつもりなのですが、傍で見ていた母は「アンタ、相当おかしい格好だったよ(半笑い)」

 

うるせー。こちとらまっすぐ歩いているつもりなんじゃ。しかし、これはいったい……そして、その様子をスマホ(アレはiPhoneかな?)で撮影されたです。見せてもらってはないですが、自分でわかるのでわざに見たいと思いませんけーね(自虐)

 

はじめての検査

 

さて、入院してはじめての検査は心電図でした。あ、筋電図じゃないんだ? と思ったがこれがまた「無茶クソ言うな!」と思ったやつでありました

 

上半身裸で腹のぽよんぽよんに自分で落ち込みつつ、せっせと検査のアレがいろいろつけられていきます。そして「力抜いてね~」と言われる。力抜いてリラックスしている筈なのだが、なぜか検査のひとに「力入っているよー。腕の力抜いてねー」と言われた

 

……はっきり言おう

 

できるかぁああああああ!!

 

こちとら異常緊張で入院しているんだ。脱力が難しいひとに脱力せいってどういう無茶振りだ!? とは思えども言えないので、何回も、少なくとも五回ばかり注意されて検査終了。……なんだろう、なんかどっと疲れた

 

で、そのあとは、胸のレントゲンを撮って部屋に帰還。ばたんきゅーしました

 

やれやれ、こんなんで検査こなせるんだろうか、と不安になった一日でしたとさ

 

さて、明日はМRI検査を短く記事にできればと思います。なんか、今なぜか尻というか腰というかなんかその辺が調子悪いので座っているのが痛い。……アレ、これって過去の珍病、尾てい骨の捻挫になんか似ている。いや、まさか、もうアレはごっつぁんです。では、そういうわけで今日はここら辺で、さようならです

 

つづく

入院中のお食事ってさ

 

どうもです、過去を振り返りつつ記憶にあるままを語っている神無です

 

昨日は飯がどうのこうのとか同室のひとがどうだったとかを語りたいというところで終わりました。まあ、食事、入院食がどうのなんてたいして興味ないでしょうが私的にちょっと驚いたことだったので語らせてくだせえ

 

今回は短く済まそうと思っているので見出しはなくていいかな?

 

朝七時半。さて、早速朝ご飯ですが、これはシンプルなおかず、温泉卵だとかちょっとした煮物だとかにご飯が二百グラム「も」ついてくると言う結構なヘビー。朝からご飯二百グラムって、小食だった身には辛いぜ。で、朝は必ず牛乳がつきます

 

正午。昼もご飯は二百グラムでボリューミーなおかずが多かったです。ハンバーグとか、そういう、魚にしろ、獣にしろ……肉ー! って感じのおかずでした。そこに副菜が二、三ついてって感じだったので完食後は腹パンパンでした

 

夕方十八時。夕食も結構、え、もうあと寝るまで時間潰すだけでしょ? なのに、わりかしヘビーでした。お昼ほどではありませんが、それでもしっかりエネルギーを補給して寝てね? という感じで味つけはあっさり目でしたが量は、がっつりです。そしてご飯はやっぱり二百グラムです(笑)

 

でぇ、同室のひとたちですが、いいひとたちばかりでした。さすがに徳島の病院だけあって徳島県民が多いですが、私ともうひとり新潟生まれのおばあちゃんが一緒でした。これがまた元気でね、常時車いすだって以外はお喋りが大好きで誘われたりが結構頻度でありました

 

でも、そんな同室のひとたちは私とは比べ物にならないくらい重い病気を抱えてらっしゃるのか生活するのも大変そうでした。お手洗いとかが特に。私なんかはてこてこ歩いていって部屋の隣にあるトイレで済ませる感じですが、他の方はみんな多目的トイレが多かったです

 

朝起きたら挨拶したり、雑談に引っ張られたり結構楽しくすごしましたねぇ、そう思うと。いや、あの検査とかは結構アレでしたが……。それはまた明日、ということで

 

ちなみに、よく病院で常食、軟菜食とかありますが、どう違うのかと思っていると、栄養士さんが他の患者さんに説明しているのが聞こえてきました

 

どうやら軟菜食というのは水菜とかシャキシャキしていたり噛むのに力がいったりするおかずや食材が抜かれた食事らしいです。へえ、って感じでした。私も将来入れ歯になったりしたらそんな食事になるのかしら(ギリ二十代のほぼ三十路でなに考えてんだこいつ)?

 

あの入院翌日のカットフルーツや芋は入院中食べる機会がなかったっす。なぜなら平日は検査が急に飛び込んだり、先生が突然様子見に来たりするので迂闊に病室を離れられなかったですから。なので、土日祝日にと思っていたのに、その日はその果物屋さんは閉まっているときた。院内に入っているタリーズコーヒーもです。唯一開いているのはローソンくらいでした

 

なので、いつも目覚めに珈琲を飲んでいた私は朝、起きてローソンが開く七時ちょっと前に病室をでてエレベーターで一階におりてお気に入りのボス珈琲さんのブラウンというのを買って飲んでいたわけです。まあ、それが原因かはわかりませんが、珈琲効果なのか便秘気味だったのが一気に解消されて真逆な感じになったのには参りました。特に日に七回下痢った日はぐったりでしたとも(朝一に汚い話ですみません)

 

では、明日は検査、なにをしたかというのと治療になにをしたかを語りたいと思います。入院当初の私の「おおい、これどうなってやがんだ私!?」というのも併せてお伝えできたらと思います。では、今日はこの辺で

 

つづく

入院――脳神経内科・脳神経外科病棟

 

はてさて、薬を復活させただけなのにかなり快復したぜ、というのを昨日は記事にしましたが、今日は入院の順番が来たので初日と翌日の話をしたいと思います

 

再び徳島へ

 

さて、今回も一応まだ体が微妙にしんどい私の為に車を借りてくれた母運転で徳島に向かいます。事前に断食とかはしなくていい(内科的なアレじゃないから)ということで、瀬戸大橋の途中にあるサービスエリアに入っているうどん屋さんでシンプルに茹でただけのうどんと温泉卵でエネルギーを補給して病院へ

 

今回はまず、私がおり、大量の荷物を積む為のカートを取ってきてもらって乗せ、母が駐車場に停めてきて受付に向かった次第

 

その時気づいたんですが、徳島のひとはなんだか変わったイントネーションの話し方だと気づいたです。関西弁と似ていて微妙に語尾がさがる、というのでしょうか?

 

なぜか、なんとなく親近感が湧くと言うか、都会っぽくてもちょっと田舎なのかしら? という感じでした

 

そして、案内されるままに東病棟とやらに移動です。着いてそうそう、身長体重はかられてリストバンド(?)をされて、ああ、入院というのをこの時はじめて実感しました

 

それから病室に案内されて、荷物を整理して大切なもの(暇潰しアイテムとそれの充電機器諸々)を枕元に置いて、母が祈祷してくれた時にもらったありがたーいお札をマイ枕の下にはさんで準備完了!

 

なんかもう、その日は疲れていたので、あまり記憶がさだかではありませんが、先生が挨拶に来られたような、そうでなかったような……(えへ?)

 

夕食を母が地元の病院で入院中に買っていてくれた介護用のスプーンなんだか箸なんだかよくわからない超便利グッズでもしゃもしゃ食べて(たしかエビチリだった、メイン料理)あとはお休みぐーです

 

翌日

 

おはようございますな感じに朝を迎えてご飯食べて、検温血圧酸素量、排泄の量諸々を訊かれて答えてして、あとは早速の採血です。いっぱい取られましてほへー状態でした。いえ、実際には最初は勢いがよかったのに途中からおおい、どうした!? という感じに血の勢いが死んでなかなか終わらないというある意味拷問(トイレいきたかったんねん!)

 

それから一通り看護師さんとご挨拶して終わったら、ホテルで一泊した母がやってきて果物とふかし芋の差し入れをくれました

 

もぐもぐ、ごくん。……うっめ!!? なにこれ美味しい! こ、これは果物ですか? もしかしてお菓子ですか? というくらい美味しかったです。イチゴ、キウイ、オレンジ(せとかミカンだと思われる)のカットフルーツ盛りあわせだったですが、これは、四国特有の美味しさであろうとそう思いました

 

そして、芋、サツマイモも美味しかったです。地元ではちょっと古い品種が好まれがちですが、私も母も四国で有名な鳴門金時という芋が大好きです。最近流行りの安納芋のようなねっちょり感がなく、ほくほくしていて掘りたてよりも貯蔵しておいた方が美味しいというこの芋はほぼ一年通して楽しめるので、もう、幸せでしたとも

 

さあ、そんなこんなで入院生活をはじめた神無ですが、検査とか治療とかの話はまた今度。明日は入院中の食事や同じ部屋(個室と四人部屋があったが、料金、お財布の関係で四人部屋にお願いした)のひとたちとのワイワイを話したいと思います

 

つづく