お菓子と私とジストニア

私を表現できるもの、挑めるもの、私の闘病、私にひっつくあれやこれを綴っていけたらな、と思っています

入院当初の私と最初の検査

 

どうもどうも、曖昧な自らの記憶に検索をかけつつ記事つくっている神無です

 

今日は昨日話していた「おおい、どうしたよ!?」というのを書いてみたいと思います

 

入院当日だか翌日だかの私

 

先生にいつお会いしてご挨拶したのか記憶が定かでない、そんな話をしましたが忘れていたらそれはそれでオッケーです。なにしろ私も「?」でしたので(おい)

 

ですが、担当医の先生といっちゃん最初に徳島に来た時診察してくれた先生が一緒に来てくださってですね、歩いてみましょう、と言われました

 

? です。歩くのは歩けるけどな~、と思ったわけです。まあ長距離を歩くのは体がしんどかったですが。それでも促されるまま歩いてみます。長めの廊下をいったり来たり

 

そして、唐突にその指示がでました

 

「後ろ歩きできますか?」

 

なに? そんなもんできるに決まってるわ。日常生活で必要ないからしたことないだけで、と、思ったのですが……

 

「あ、あれ? なにこれ、え、え?」という感じでした。まあ、なんていうのきちんと歩けなかったですよ、これが。みなさん後ろ歩きできますか? 私、この時できなかったんです。自分ではまっすぐ歩いているつもりなのですが、傍で見ていた母は「アンタ、相当おかしい格好だったよ(半笑い)」

 

うるせー。こちとらまっすぐ歩いているつもりなんじゃ。しかし、これはいったい……そして、その様子をスマホ(アレはiPhoneかな?)で撮影されたです。見せてもらってはないですが、自分でわかるのでわざに見たいと思いませんけーね(自虐)

 

はじめての検査

 

さて、入院してはじめての検査は心電図でした。あ、筋電図じゃないんだ? と思ったがこれがまた「無茶クソ言うな!」と思ったやつでありました

 

上半身裸で腹のぽよんぽよんに自分で落ち込みつつ、せっせと検査のアレがいろいろつけられていきます。そして「力抜いてね~」と言われる。力抜いてリラックスしている筈なのだが、なぜか検査のひとに「力入っているよー。腕の力抜いてねー」と言われた

 

……はっきり言おう

 

できるかぁああああああ!!

 

こちとら異常緊張で入院しているんだ。脱力が難しいひとに脱力せいってどういう無茶振りだ!? とは思えども言えないので、何回も、少なくとも五回ばかり注意されて検査終了。……なんだろう、なんかどっと疲れた

 

で、そのあとは、胸のレントゲンを撮って部屋に帰還。ばたんきゅーしました

 

やれやれ、こんなんで検査こなせるんだろうか、と不安になった一日でしたとさ

 

さて、明日はМRI検査を短く記事にできればと思います。なんか、今なぜか尻というか腰というかなんかその辺が調子悪いので座っているのが痛い。……アレ、これって過去の珍病、尾てい骨の捻挫になんか似ている。いや、まさか、もうアレはごっつぁんです。では、そういうわけで今日はここら辺で、さようならです

 

つづく

入院中のお食事ってさ

 

どうもです、過去を振り返りつつ記憶にあるままを語っている神無です

 

昨日は飯がどうのこうのとか同室のひとがどうだったとかを語りたいというところで終わりました。まあ、食事、入院食がどうのなんてたいして興味ないでしょうが私的にちょっと驚いたことだったので語らせてくだせえ

 

今回は短く済まそうと思っているので見出しはなくていいかな?

 

朝七時半。さて、早速朝ご飯ですが、これはシンプルなおかず、温泉卵だとかちょっとした煮物だとかにご飯が二百グラム「も」ついてくると言う結構なヘビー。朝からご飯二百グラムって、小食だった身には辛いぜ。で、朝は必ず牛乳がつきます

 

正午。昼もご飯は二百グラムでボリューミーなおかずが多かったです。ハンバーグとか、そういう、魚にしろ、獣にしろ……肉ー! って感じのおかずでした。そこに副菜が二、三ついてって感じだったので完食後は腹パンパンでした

 

夕方十八時。夕食も結構、え、もうあと寝るまで時間潰すだけでしょ? なのに、わりかしヘビーでした。お昼ほどではありませんが、それでもしっかりエネルギーを補給して寝てね? という感じで味つけはあっさり目でしたが量は、がっつりです。そしてご飯はやっぱり二百グラムです(笑)

 

でぇ、同室のひとたちですが、いいひとたちばかりでした。さすがに徳島の病院だけあって徳島県民が多いですが、私ともうひとり新潟生まれのおばあちゃんが一緒でした。これがまた元気でね、常時車いすだって以外はお喋りが大好きで誘われたりが結構頻度でありました

 

でも、そんな同室のひとたちは私とは比べ物にならないくらい重い病気を抱えてらっしゃるのか生活するのも大変そうでした。お手洗いとかが特に。私なんかはてこてこ歩いていって部屋の隣にあるトイレで済ませる感じですが、他の方はみんな多目的トイレが多かったです

 

朝起きたら挨拶したり、雑談に引っ張られたり結構楽しくすごしましたねぇ、そう思うと。いや、あの検査とかは結構アレでしたが……。それはまた明日、ということで

 

ちなみに、よく病院で常食、軟菜食とかありますが、どう違うのかと思っていると、栄養士さんが他の患者さんに説明しているのが聞こえてきました

 

どうやら軟菜食というのは水菜とかシャキシャキしていたり噛むのに力がいったりするおかずや食材が抜かれた食事らしいです。へえ、って感じでした。私も将来入れ歯になったりしたらそんな食事になるのかしら(ギリ二十代のほぼ三十路でなに考えてんだこいつ)?

 

あの入院翌日のカットフルーツや芋は入院中食べる機会がなかったっす。なぜなら平日は検査が急に飛び込んだり、先生が突然様子見に来たりするので迂闊に病室を離れられなかったですから。なので、土日祝日にと思っていたのに、その日はその果物屋さんは閉まっているときた。院内に入っているタリーズコーヒーもです。唯一開いているのはローソンくらいでした

 

なので、いつも目覚めに珈琲を飲んでいた私は朝、起きてローソンが開く七時ちょっと前に病室をでてエレベーターで一階におりてお気に入りのボス珈琲さんのブラウンというのを買って飲んでいたわけです。まあ、それが原因かはわかりませんが、珈琲効果なのか便秘気味だったのが一気に解消されて真逆な感じになったのには参りました。特に日に七回下痢った日はぐったりでしたとも(朝一に汚い話ですみません)

 

では、明日は検査、なにをしたかというのと治療になにをしたかを語りたいと思います。入院当初の私の「おおい、これどうなってやがんだ私!?」というのも併せてお伝えできたらと思います。では、今日はこの辺で

 

つづく

入院――脳神経内科・脳神経外科病棟

 

はてさて、薬を復活させただけなのにかなり快復したぜ、というのを昨日は記事にしましたが、今日は入院の順番が来たので初日と翌日の話をしたいと思います

 

再び徳島へ

 

さて、今回も一応まだ体が微妙にしんどい私の為に車を借りてくれた母運転で徳島に向かいます。事前に断食とかはしなくていい(内科的なアレじゃないから)ということで、瀬戸大橋の途中にあるサービスエリアに入っているうどん屋さんでシンプルに茹でただけのうどんと温泉卵でエネルギーを補給して病院へ

 

今回はまず、私がおり、大量の荷物を積む為のカートを取ってきてもらって乗せ、母が駐車場に停めてきて受付に向かった次第

 

その時気づいたんですが、徳島のひとはなんだか変わったイントネーションの話し方だと気づいたです。関西弁と似ていて微妙に語尾がさがる、というのでしょうか?

 

なぜか、なんとなく親近感が湧くと言うか、都会っぽくてもちょっと田舎なのかしら? という感じでした

 

そして、案内されるままに東病棟とやらに移動です。着いてそうそう、身長体重はかられてリストバンド(?)をされて、ああ、入院というのをこの時はじめて実感しました

 

それから病室に案内されて、荷物を整理して大切なもの(暇潰しアイテムとそれの充電機器諸々)を枕元に置いて、母が祈祷してくれた時にもらったありがたーいお札をマイ枕の下にはさんで準備完了!

 

なんかもう、その日は疲れていたので、あまり記憶がさだかではありませんが、先生が挨拶に来られたような、そうでなかったような……(えへ?)

 

夕食を母が地元の病院で入院中に買っていてくれた介護用のスプーンなんだか箸なんだかよくわからない超便利グッズでもしゃもしゃ食べて(たしかエビチリだった、メイン料理)あとはお休みぐーです

 

翌日

 

おはようございますな感じに朝を迎えてご飯食べて、検温血圧酸素量、排泄の量諸々を訊かれて答えてして、あとは早速の採血です。いっぱい取られましてほへー状態でした。いえ、実際には最初は勢いがよかったのに途中からおおい、どうした!? という感じに血の勢いが死んでなかなか終わらないというある意味拷問(トイレいきたかったんねん!)

 

それから一通り看護師さんとご挨拶して終わったら、ホテルで一泊した母がやってきて果物とふかし芋の差し入れをくれました

 

もぐもぐ、ごくん。……うっめ!!? なにこれ美味しい! こ、これは果物ですか? もしかしてお菓子ですか? というくらい美味しかったです。イチゴ、キウイ、オレンジ(せとかミカンだと思われる)のカットフルーツ盛りあわせだったですが、これは、四国特有の美味しさであろうとそう思いました

 

そして、芋、サツマイモも美味しかったです。地元ではちょっと古い品種が好まれがちですが、私も母も四国で有名な鳴門金時という芋が大好きです。最近流行りの安納芋のようなねっちょり感がなく、ほくほくしていて掘りたてよりも貯蔵しておいた方が美味しいというこの芋はほぼ一年通して楽しめるので、もう、幸せでしたとも

 

さあ、そんなこんなで入院生活をはじめた神無ですが、検査とか治療とかの話はまた今度。明日は入院中の食事や同じ部屋(個室と四人部屋があったが、料金、お財布の関係で四人部屋にお願いした)のひとたちとのワイワイを話したいと思います

 

つづく

待つこと……

 

どうもです。引き続きな神無です(?)

 

昨日は徳島いったはいいが気合い入れて入院する気満々を挫かれたぜ、みたいなところで終わっていました。今回はその後、どうなったかの驚きを綴ります

 

お返事を持って

 

とりあえず、徳島の病院で院外処方してもらったマイスリーですが、本来は眠前に飲む薬だそうです(へえ)。それを昼食後と夕食後に半錠ずつ飲んでね、と言われていたのでそれを飲みながら、精神科の主治医にお返事を持っていき、エビリファイを復活させてくれと頼みました

 

それを主治医がどう思ったかはよくわかりませんが、とりあえず先方の指示通りに、それで寛解した症例がたくさんあると言うので物は試し、というとアレですが、エビリファイ復活です

 

例の薬を復活させて

 

エビリファイを戻してからマイスリーも飲み続け、五日くらい経った頃でしょうか

 

びっくり仰天とはまさにこのことか、という感じでした

 

く、く、首が……まっすぐになっちょう!!?

 

それはそれは、もう驚きました。それ以外に言葉がないくらい驚きました

 

さすがに完全に曲がりだしちゃう前のような、ジストニア発症前のようにとはいきませんでしたが、それでもまっすぐです。ご飯を食べるのも格段に楽。顔を洗うこともできる(今まで洗ってなかったのかって? 風呂では洗っていたよ。でも洗面所では右腕がびしょびしょになっちゃうんだもん)

 

そしてなにより、表情に変化がありました

 

いつもしかめっ面でひどい顔(激痛で)だったのが、笑えるようになりました

 

自分でびっくりして、母もびっくりして思わず記念撮影(アホ親子(笑))

 

そしてそして、三月に入りまして、五日のこと、母のところに徳島から連絡がありました。ちょうどよくベッドが空いたので十九日に検査加療目的で入院を二、三週間。ご予定どうですか? とドクターの(PHS(ピッチだったかな?))から直々に電話があったので、私はぜひ、と母に頼みました。了解賜った母はすぐに折り返して連絡し、予定を入れてもらいました

 

あああぁあああ、とうとう入院だ。それも精神科の閉鎖病棟じゃないところ。緊張するです、でしたよ~

 

そして、改めて荷造りして私は母と一緒に十九日、再び徳島にいくことになったのでした

 

次は、入院生活のことを話していこうかな、と計画中です

 

つづく

はじめましてな先生の診察

 

どうも、いよいよ診察でなにを言われるかとかなんかの話に突入したいと思います

 

今回は短めにしようと思うので見出しはなしです

 

しばらく寝ていると十五時ぴったりに先生がいらっしゃいました

 

はじめまして、をして早速診察です。いつ頃から症状があったのかを母に確認を取りながら(自覚がない時があったので)話しつつ、触診です

 

車いすに移って各所触られて腰に触れられて痛いと言うと意外そうな顔をされたので説明。逃げる首を最終的に支えている腰にダメージがいっているんです

 

それから、私がほんの二、三分の触診でくたばったので母と別室でお話となったのですが、そこで意外なことを言われましたそうです

 

「ここで診てきたジストニア患者さんの中で言うと娘さん(私)のはそこほど重い、重症ではないので、悲観しないで大丈夫ですよ。必ず治療方法がありますので、しっかり診ます。ただ、今は病床が満床以上なのですぐに入院して検査云々は難しいです」

 

なるほど、そりゃ仕方ない

 

「入院予約を行って帰ってください。それと、マイスリーというお薬をはじめてみてください。それと、精神科の先生にエビリファイを復活させてもらってください。それで格段によくなる筈です」

 

ほわっつ? エビリファイが悪さをした結果なんでねえの? それを復活ってなぜに? それとマイスリーの合わせ技でそこまでよくなるか~?

 

と、まあ、半信半疑で会計して、一泊する為にホテルに帰りました

 

正直に言いましょう。嬉しかったです。地元の大病院のクソドクターに一生そのまま、と言われていただけに治す方法が必ずあるから悲観しないで、と言ってもらえたのはとても、とても嬉しくて、嬉しくて泣きました

 

そして、一泊して朝、ちょっとした珍事があったのですがそれは記憶に封印して(だってちょっと汚いもん)無事、家に帰ったのでした

 

未来(さき)に希望を抱きながら……