お菓子と私とジストニア

私を表現できるもの、挑めるもの、私の闘病、私にひっつくあれやこれを綴っていけたらな、と思っています

入院生活のあれやこれ――その六&退院!

 

どもども! 本格的に書くことがのーなってきたのでもう二日分で文字数を稼ぐしかない! という苦肉の策に手をだすのである……

 

最後の神経内科回診

 

退院前日である月曜日、午後。部屋でうーだうだしていると突然名前を呼ばれて素っ頓狂な声がでる私。んで返事をしたらカーテンしゃっ、でひとがぞろぞろ入ってくるという見慣れたようで見慣れない回診光景です

 

んでー、教授だと思しきじいちゃん先生が私のジストニアを後ろの研修医? さんらに説明していく。なんでも教科書(?)にはジストニア、ジストニーとも表記されているらしい。く、無駄に格好いい気がするのはきっと気のせい

 

そっから軽く触診があり、手術の適合が出たみたいだけど、ご家族と話しあってよく考えて決めてねと言われて去っていった。相変わらず回診というのは嵐のようだ、と思った神無である

 

その後、夕飯真っ只中というか終盤? 最後に白飯を口いっぱいに頬張ってもっきゅもきゅ噛んでいると突然担当医さんがいらっしゃって超焦った。が、返事しちまったのでご飯もぐもぐしながら返答する(失礼)と、次の主治医の外来いつにします? と訊かれたのでまだもうちょっと考えているところです、言うて濁す。だって、母の都合もあるしさ。母が決めちょらんかってんよ!

 

そしたら、明日帰るまでに看護師さんに言ってくれたらいいですよ、と言ってもらえたのでどうも、ご面倒おかけします、とこっそり反省しつつ、飯ごっくんしてさようならし、歯磨きして寝支度し、その日は消灯より少し早めに眠前を飲み、寝た

 

退院・手術の説明

 

そしてそして、入院してからこっち不眠気味だったのどうしたよ? ってくらいすげえぐっすり寝て起きることができた翌日火曜日のこと

 

荷造りを終えて、十時に来てくれる筈である脳外科の先生に対し、母はちょい興奮か、のぼせかで頭沸いている私と協議し、九時すぎには迎えに来てくれた

 

カートに荷物を乗っけて食堂で待つこと二、三十分。おそらく連絡がいったのか脳外科の先生がダブルで来なさってちょいと早いが、面談室へ

 

んで、早速手術説明があったのだが、やはりネットの情報じゃ正誤がわかりにくい、というのもあるし、部品(電磁パルスとか)の画像も名称を知らないので調べようがなかったが、即行ネットにアクセスして見せてくれた

 

最近のは性能がほんによぉなっているらしい。二本のリードを二本の延長ケーブル(?)で繫ぎ、胸を二ヵ所切開して二個の電磁パルス(ペースメーカーみたいなの)に繫ぐ、と思っていたが、電磁パルスは一個でいいらしいし、切開箇所は鎖骨の下辺り一ヵ所だけだそうだ。なんでも延長ケーブルを一個のパルスに二本繫げられるようになっているんだと。最近は

 

そんで~、手術の手順で一発いっちゃん驚いたのが頭蓋骨に穴開けるのにネットだと一部剃毛で~、が多いのに対し、全剃毛する、と書いてあったことだ

 

つるつる神無になるようだ。なんでも感染症のリスクを少しでも減らせるらしい。じゃあいいや。ハゲで。禿頭で。術後退院までには少し生えているらしいし

 

そっから母の質問タイムとなり、いろいろ訊いていた。が、私は椅子に座っているのがしんどくてくたばっていた。とりあえずの流れは紙に書いてあるのでのちほど見返すことにして、母が一段落したので、年明け手術でもOP室を押さえておこう、となって一月四日入院の七日手術と、予定を入れてもらい、お暇となった

 

それから、脳外科の先生方にお礼を言って、食堂に戻り、看護師さんに次の外来希望日時をお伝えし、診察券など返してもらって帰宅の途に着く私であった

 

久しぶりの我が家は懐かしくて思わずやふーい! したです。ま、まあ帰りの道中でいろいろあり、首と腰は瀕死でしたが……

 

とりあえず、次のボトックス受診までに手術をどうするか決めるんだが、私の中ではとうに決まっている。だって、手術以外にもはや道がないのだから。寛解の可能性が、回復率があるひとないひといるし、回復の幅もひとそれぞれだ。でも、六割か七割は平均でよくなるらしいので、そしたら私は人並みの生活ができる……!

 

期待と希望を胸に久々家のいつものベッドで眠った

 

では、次回はボトックスのある十二月にでも更新しますかね

 

つづく~