お菓子と私とジストニア

私を表現できるもの、挑めるもの、私の闘病、私にひっつくあれやこれを綴っていけたらな、と思っています

二回目は慎重に(?)

 

どうも。まだまだ入院中の出来事を語りたい神無です

 

今日もまあまあできるだけ短めに仕上げておいてやろうと思います

 

さて、その日はいろいろとありました。新潟出身のおばあ(当人曰く雪民(ゆきみん)いうてた)が退院して入れ替わるようになにやら若い方が入院してきなさいました。その方は手術予定での入院だそうで(カーテン越しに聞こえてきた)大変だねぇと思いました

 

自分に手術予定がないのでなんのアレもない神無です。で、その日、その方はなにやら恐ろしげな検査をするというのでびびっておられました。なんでも髄液を取るとか。そのことを母とLINEお喋りしていたら母の苦い思い出が蘇ったようです

 

そう、アレは六年前のこと、十二月、師走の候。母が足首を骨折し、入院した時、脊髄に局麻をして手術をしたのですが、翌日、麻酔が切れると同時にいつだか書いたが私の比ではないマーライオンぶりを披露してくれました。それはもう、お茶を飲みました。嘔吐用の桶(?)にバシャっ!

 

もう、入ったものがすべからくでていってしまう感じでした。傍で見ている分にはうわーでしたが、本人はトラウマものにしんどかったようです

 

話は逸れましたが、それを病室でする、と聞いてお姉さんの悲鳴が聞こえまくりでした。大丈夫かよ、と思っていた私。油断していました。はい。その日は看護師さん、検査ない言うてたので油断しまくりんじゃーでした

 

担当医の先生と初診の先生来ました。「キシロカインリトライしましょう」

 

……なぬぅううううううううう!!!?

 

ええ、もう、この時こそ油断大敵と意味不明な間で四文字熟語が脳味噌を疾走しました。ええぇ、事前に言っておいてよぉ……。と、思いつつ、私も病室で処置になりました

 

この時は背中だけに打った、筈(もう記憶が曖昧という脳味噌の出来悪さ(笑))

 

その時、初診の先生、多分こちらの方のが担当医さんより偉い。その先生が「若い女性だから浅めの位置に打って」と、言ったのを聞いて、あ、私まだ若いうちに入るんだ? と思ったのは内緒であって内緒でない。え、だって、三十路っていったら昔、いえ、あの大昔ではないですが、ちょっと前だったらおば……の称号を賜る年齢じゃね? と思っていただけに微妙にくすぐったい感じでした

 

まあ、それはいいとして注射し、しばらく安静にして「ちょっと歩いてみて」と言われるまま歩く。そして「じゃ、後ろ歩きいこうか」と指示。うぅむ、また千鳥足も真っ青なアレをやるのか? と思ったのですが……

 

スタスタスタ……。……あれ?

 

歩けとるやないかい!??? マジか!?

 

もう、びっくりです。あの不気味歩きが普通に歩けています。その時の感動はもう生涯忘れられないと思います。それはもう、無駄にマイケルジャクソンのなんとかウォークをしたい気分でした(できませんが、すっ転ぶ自信がすんげえあります! 豪語します!!)

 

その日はもう舞いあがるほど嬉しかったです。母に連絡した時も、すっごく喜んでくれました。やっぱり、徳島を選んでよかった、と。そして私は泣きそうでした。なんだか、希望の光が点から太陽並みになった感じでしたので

 

まあ、興奮してきたので、ここらでやめときます。また明日、なにかは書こうかな、と思います。では、また……

 

つづいていくよ~どこまでも~(?)